アンケートお礼SS
 enquete jeune
 

「アンケートにご協力お願いします」
そんな台詞を吐きながら、真夏の路上で笑顔をばら撒くのがあたしのアルバイト。
3日目の今日は、既に足の疲労で一杯一杯。
何でこんなバイトしているのか、仕事中には考えないようにしている。

大抵の人は気にせず通り過ぎ、たまに会釈してくれる人がいて、稀に丁寧に断ってくれる人がいて。
そんな1日も既に日が暮れてきて、まともに仕事も出来ないほど駅前を行く人の数も増えてきた。
間も無く今日のお勤めも終わり。

2件だけの成果を背中に入れて集合場所に戻ろうかとしたその時。
あたしの目の前を通った女の人に、ふと目を奪われた。
スーツや制服の人達ばかりの中で一際目立つ白いワンピースの裾が、ふわりと人混みをすり抜ける。
過ぎ行く後姿は、背中まで流れる黒髪が街の明かりにキラキラと輝いていたようで神秘的にさえ思えた。
そして風に流れてやってきた蠱惑的な香り。

気が付くと、あたしの足はそっちへ向かって小走りになっていて、その白い姿を追いかけていた。
数メートルの距離が、障害人でなかなか縮まらない。
なんとか彼女の横に回り込むことができたことに、なぜか胸が高鳴る。
「あの、アンケートにご協力頂けませんでしょうか。」
そう言って覗き込んだ彼女の横顔に、あたしはハッとなった。

不思議そうに顔をこちらに向けたそこには、大きなサングラスと、血のように赤い唇。
白い肌に不自然な程はっきりとしたコントラストを与えるパーツが、それだけであたしを拒絶したように思えた。

彼女はゆっくり足を止め、こちらに向き直った。
周囲の人たちは自然とあたしたちを避けていく。
「いいけど・・・なぜ私に?」
メゾソプラノの声が周囲の雑音を貫き、明瞭にあたしの耳に届いた。
なぜだろう、漠然とした不安があたしの脳裏に訪れる。
「あの、女性向けの雑誌のアンケートなんです。お時間は取らせませんので・・・」

改めてその女性を下から上まで素早く観察する。
黒いハイヒール、金のアンクレット、金のブレスレットにブランドのバッグ、そして特に目を引いたのが
軽く開いた胸元の、黄金に輝くロザリオ。
この人は、一体何をしている人なのだろう。水商売風・・・に見えなくも無い。
「いいわよ。でもここじゃ邪魔ね。少し離れた路地に入りましょうか。」
緩やかに唇を持ち上げた彼女のそこから目を離す事が出来ず、ふらふらと言われたままについていく。

呑み屋通りの路地は人影も無く、わずか先の喧騒も遠くの出来事のよう。
彼女はアンケート用紙に目を通し、さらさらと鉛筆で書き付けていく。
白い紙と白いワンピースの間で忙しなく動く、白い手。
その手に釘付けになっている私に、大きなサングラスが向けられる。

「で、あなた。どうして私にアンケートを?」
ハッとなって、慌てて顔を上げる。
「えと、あの、なんてゆーか、気になって、つい・・・」
そう尋ねられても理由などないので、なんとなく口ごもってしまう。
「そう、私に興味を持ったってことかしら?」
真っ直ぐに向けられた唇から、白い歯が微かにこぼれる。
そうなのだろうか?
女の人が気になって声を掛けたことなど初めてで、それが感情なのか仕事の為なのか、解らない。

私が答えないでいると、彼女は私に触れんばかりに距離を詰めた。
「ふふ。若いのに積極的ね。いえ、若いから、かしら?」
感じたことの無い、危険な彼女の香りに包まれ、どんどん鼓動が高まってくる。
「あなた、いくつ?」
「18です・・・」
驚くほど素直に、私の口からは答えが溢れたが、彼女の顔を見ることは出来なかった。

「学生?」
「はい、高校生です。」
「夏休みなのに、受験勉強はしないの?」
「バイトある日は、予備校行かないんです。」
脚の横で固く握り締めた拳に、じんわりと汗が滲んでくるのに気づく。

「まだ、このバイト始めたばかりでしょう?そろそろ飽きたんじゃない?」
「いえ、疲れますけど、もう少し続けてみます。」
「へぇ。意外と辛抱強いのね。そういう子は好きよ。」
「か、からかわないで下さい・・・」
唇の間から零れた少し長い犬歯は、なんだか見てはいけない物のような気がしてまた目を逸らしてしまう。
「ふふ。いいわ、あなた。あなたが好きそうな事を取り揃えたお店があるの。寄ってみない?」
やっぱり、お水さんだったのだろうか。
そんな一瞬の冷静さは、不意に頬に訪れた彼女の唇の柔らかい感触によって、粉微塵に砕け散った。
心臓が、自分のものでないような暴れ方をしている。
学校で、友達にふざけてされるときは、こんな気持ちになんてならないのに。
頭の中で、彼女の唇がぐるぐると鮮血の渦を巻き起こす。

唇の感触と、魅惑的な香りと、甘い声。

味わってみたい、そのお店で楽しめるものを。

どんなものが供されるのか知りたい。

そんな感情を振り払うには、あたしの心は弱すぎた。

「あたしが行っても・・・いいんですか?」
その問いに、彼女は満足げな微笑を浮かべてからスッと手を差し出した。
「ふふ。きっと病み付きになるわよ。こちら側を知ってしまったら・・・」

誘われるままに白い彼女と手を繋ぎ、あたしは路地の奥へと吸い込まれていった。

 

ヨウコソ、コチラガワヘ・・・


fin

 

 

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