Massive efforts その11


「お疲れ様でーす・・・あー、本格的に降ってる・・・」
あたしはどんより灰色の空を見上げ、差し出した手で雨の降り具合を確かめた。
6月も半ばとなると、じめじめ不快な季節に突入する。
先日、夏服の着用が可能になったばかりだというのに、このところ雨の日が続いているのも不快の一因。
今朝は久々に晴れていたというのに、部活が終わって体育館を出たら雨だなんて。

「傘、持ってきといてよかった・・・ん?」
体育館に併設された部室棟から出たあたしが雨に煙る校庭の向こう、中学校舎の入り口にふと目を向けた時、
一人の生徒がゆっくりと傘も差さずに校庭へと進み出てくるのを捉えた。
しかも、そのまま帰るつもりなのか、校門の方へ悠然と歩いていく。
見覚えがあるポニーテール、背筋を伸ばして歩く姿勢。
思い当った人物の名を、あたしは口の横に両手を当てて叫んでみた。

「みーーーーーっひーーーーーーーーーっっ!!!」
雨を切り裂くほどの声がお腹から飛び出して、名前を呼ばれたことに気が付いた人物がこちらに振り向いた。
あたしは頭の上で両手を大きく振ってから、水色の傘を広げ雨の中へと走り出す。
雨が降っている事など意に介さないかのように、普段通りの歩調でみっひーがこちらに近づいてきた。
「萌南。部活帰りか。」
艶やかな黒髪を雨で濡らし、額から滴る水滴が顎まで伝って流れ落ちていても、みっひーは表情を崩さず、
『水も滴るイイ女』というのがどんな人なのかをあたしに教えてくれているよう。
「そうだけど、みっひー、傘差さないで帰るつもだったの?」
「ああ。持って来なかったのでな。」
平然と言うみっひーに、あたしは傘の半分を差し出しながら小さく溜め息を一つ零した。
「あたしにメールでも相談してくれればいいのに。」
「すまない。思いつかなかった。」
謝って欲しい訳じゃない。
あたしにとっては当たり前なコミュニケーションが、みっひーには通用しない。

「ううん。いいの。今こうして偶然でも会えて良かった。」
無理やり作った笑顔に全てを押しこめ、あたしはみっひーを見つめた。
「ところで、あたしが部活終わる時間に校舎から出てきたってことは、何か用事でもあったの?」
帰宅部のみっひーがこんな時間まで学校にいるなんて、珍しい。
いつまでも雨の中で立ち話もなんなので、あたしは促すように駅の方へ歩き出す。

「あぁ。保健室にいた。」
「え、また体調不良か何か? そんな体で雨に当たったらダメだよ〜。」
狭い傘の下で、既に触れている肩を小さくぶつけながら諭す。
「いや。 体調が悪いわけじゃない。 平たく言うとエネルギー不足といったところだ。」
何もない空間に視線を彷徨わせながら、みっひーが言葉を選んで説明するのに対し、あたしは腑に落ちない
表情で聞き返す。
「エネルギーって・・・食べ足りないって事? でも、この前ダイエットはしてないって・・・」
状況判断が飛躍しがちなあたしに、みっひーは小さく首を振る。
「嵐山の修行は常にエネルギーを消費し続ける。 説明するのは難しいがそういう事だ。」

頭の良くないあたしがこれ以上追及しても理解はできなそうなので、代わりに解決方法を提案する事にした。
「はい。どーぞ。」
小さな傘の陰に隠れるようにして、鞄に忍ばせているチョコビスケットの袋から1枚を取り出して唇に挟んだ。
さすがのみっひーでも、これにはツッコむでしょう。
夕方で人通りのほとんどない歩道で立ち止まり、あたしはみっひーの反応をじっと待つ。
「萌南・・・いいのか?」
「うん・・・ みっひーなら、いいヨ?」
真剣に見つめられて、傘を持つ手が震えそうになる程の何かが、脊髄を走り抜ける。
しとしとと降り続く雨の音が、自分の鼓動に掻き消されていく。

みっひーは躊躇することも無く、あたしが咥えたビスケットの端を白くて綺麗な前歯で挟み、勢い良く一気に
吸い込んだ。
唇から飛び出して行ったビスケットは、ぼりぼりとみっひーの口の中で形を変えられ、やがてはみっひーの
一部となる為に喉の奥へと送り込まれて行きましたとさ。めでたしめで・・・

・・・っじゃないーーー!!!
表情も姿勢も変えず、あたしはにこやかなまま心の中で卓袱台をひっくり返した。
そーじゃないでしょ!! 吸わないでよ!! あたしのドキドキを返してよ!!
「うん。おいしい。」
すっかり公の場で物を食べることに抵抗がなくなったみっひーは、そう言って駅の方へ向きを変えようとする。

だーーーーー!
うぇいっ! うぇいうぇいうぇ〜〜いとっ!
うぬぅ・・・このまま帰してなるものか・・・

あたしは素早くもう1枚を取り出し、今度はしっかり前歯でホールドする。
ヘイ、カモン!!
不敵な笑みを浮かべながら、さっきよりも外に出ている部分が短くなったビスケットでみっひーを挑発する。
「萌南。そんなに短くしたら唇がくっついてしまう。」
そーよ! そーゆーゲームなんだから!! 主催者様の意向に従いなさいよ!!!
心の中で何度も裏拳を浴びせながら、あたしはさらに少し顎を突き出す。

と、不意に両肩を押さえられ、みっひーの顔が近づいてきた。
上唇にチョコレート、下唇にビスケットの生地、そして両唇にみっひーの柔らかい唇の感触。
あたしの中で、心臓が飛び跳ねて、弾けて、どこか遠くに行ってしまった気分。
その上みっひーは、あたしが歯で押さえているのを奪い取ろうと何度も唇を押し付けてくる。

「ん・・・んむ・・・」
何度防衛に成功しただろうか、ビスケットが抵抗空しくみっひーの栄養になると決まった時には、あたしは
立っていられなくなるほどの衝撃と喜びに包まれてしまっていた。
それがみっひーだからなのか、それとも誰でもそうなのか。
男の子の唇とは全然違って、なんだかよく解らないけど、あんなに激しいのに嬉しかった。
思い出したくもないのにアイツと比較してしまう自分が、嫌い。
でもそれ以上に、自分のみっひーに対する想いが確かなんだと、今はっきりと判った。
ドキドキ暴れまくる鼓動と、熱くなって来る頬に、砕けた腰。
縋るようにみっひーの肩に手をかけて荒く息をつきながら、上目遣いで見上げたみっひーからは一言。

「うん。おいしい。」
    

・・・どっちがよ?

 

 

 

 

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