Incommensurate  その6


現在

 

空港の屋上で、ジェシーの乗った飛行機が無事に飛び立ったのを見届け、私は帰路に就いた。
本当なら、折角空港まで来たんだから家族にお土産の一つでも買ったら良かったのかもしれない。
でも、やっぱりそんな気分になれるはずが無かった。

帰りのスカイライナーには、何とかギリギリで座る事が出来た。
すごいスピードで過ぎて行く窓の外の景色を、前に立つ人越しにぼんやりと眺める。
眺める、というのは少し変かな。
ただ視界に入っているというだけで、私の心は別の所にあるから。

ジェシーは、どうして私が告白した時に、嫌な顔一つせずに受け入れてくれたんだろう。
結局、それは聞けないままになってしまったけれど。
本気で?
もしそうなら、彼女はどうして泣いてくれないんだろう。
私は離れ離れになるのが、こんなに辛いのに、悲しいのに、切ないのに。
たったの10か月だったけど一緒に暮らして、最初こそ戸惑ったものの楽しかった。
明るくて、喜怒哀楽がはっきりしていて、色んなことに興味を持って、ちょっと悪戯好きで。

悪戯好き、かぁ・・・
ふと、焦点が合った窓の外は、山と田んぼと町が代わる代わる流れ去っていく。
梅雨明けの空には大きな積乱雲がいくつも浮かんでいて、その上にある陽の光を遮っている。

悪戯心だったのかな。
それとも、気遣いだったのかな。
どうせあと6日だけなら、感謝の代わりにお望みの恋人として振る舞ってあげようか、みたいな。
視線を落として見えるのは、膝に乗せた鞄に添えた手の甲。
それが、ぼんやりと滲んだ。

もしそれがジェシーの演技だったとしても、彼女を責める訳には行かない。
だって、それを望んだのは私だから。
わかってる。
わかってるけど・・・

考えれば考えるほど、自分のした事のせいで惨めになっていくだけで、どうしたらいいのか分からない。
泣いている顔を見知らぬ人たちに晒すのは嫌なので、私は鞄の上の手の甲に額を付ける。
そして、考える事を拒否した私の意識は、程なくして微睡の縁へと辿り着いた。

 

 

昨年   12月24日

 

「おはよう、トーコ。 冬休み始まったのに、早起きね。」
「そうかな? もう8時じゃない。」
ぶかぶかの徳利セーターを纏って、ジェシーは眠そうに眼を擦ってそう言いながら茶の間へやって来た。
今日は親も姉も、お店の板長と共に早朝から市場へ買い出し。
大晦日までは、どうやらめちゃくちゃ忙しいらしい。

「朝ごはん、食べる? 今日はジェシーの好きな鱈の西京焼きがあったよ。」
家での食事は、買い物から後片付けまで全部私の役割だけど、ジェシーが来るまでは殆ど自分の為だけだった。
私以外は皆、お店で賄いを食べる事がほとんどだから。
ただ、結構な頻度で、買い物で買った覚えのない物が冷蔵庫に入っている事がある。
その事を母に聞いたら『本物を食べて舌を肥やすことは、大事な経験』と言う返事が返って来た。
よく分からないけど、私が食べて良いという事だけは間違いなさそうなので有難く頂いている。

「 Oh! サイキョー焼き! お久しぶりね!」
眠そうだったジェシーの顔が、雲間から陽光が差し込んだように、ぱぁっと晴れあがった。
「じゃぁ、焼くから、その間に顔洗ってきたら?」
それに釣られて浮かぶ私の笑顔は、ジェシー曰く、優しい陽だまりらしい。
廊下をパタパタと素足で駆ける足音が遠ざかっていくのを、私は冷蔵庫を開けながら耳にした。

 

 

「いただきまーす!」
手を合わせてそう言ったジェシーに、正面に座る私はどうぞと返事する。
お気に入りの西京焼きの骨を、ジェシーは見事な箸捌きで身から外して行く。
「ねぇ、ジェシー。 今日は何か予定ある?」
ざわつく心を落ち着かせながら、タイミングを見計らって声を掛ける。
「今日は教会に行って来るね。 トーコも一緒に行く?」

ジェシーが日曜の午前中に、当たり前のように教会に行くのは知っている。
それにクリスマス・イブなら礼拝に行くのも、当然なのだろう。
「そうね・・・今日くらいはそれもいいかも。」
かつて一度、ジェシーの日曜礼拝について行ったことがあって、それを親に話したらあまり快い反応が返って
来なかったことがある。
それ以来、その事をジェシーが気にして誘われることも無くなってしまったけど、今日という日はやっぱり
クリスチャンにとっては特別なのだろう。

「いいの? そしたら、二人だけの秘密ね。 話したらまた、トーコ寂しくなるね。」
「え・・・ そ、そう、ね・・・」
咀嚼していた魚を飲み込んで、ジェシーは私の返事に驚いてから小さくウインクした。
『秘密』なんて言葉を出されたものだから、私も急に意識してしまう。
慌てて逸らした視線の先は、見慣れた畳になってしまった。

「 OK! じゃぁ、9時に出発ね。 急いで食べないといけないね。」
そう宣言して、ジェシーはみそ汁のお椀を口元で傾ける。
最初こそスプーンで食べていたものの、もうとっくにこの食べ方に慣れたらしい。

今日の為に、こっそりジェシーにプレゼントを用意している事を胸に隠したまま、私は食事を続けるジェシーが
食べ終わるまでその光景を眺めていた。


 

 

 

 

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