「ひーのーんせーんぱーい!」
一日の授業が終わり、先生が教室の前の扉から出るのと同時に、後扉から私を呼ぶ大きな声が響いた。
私だけが呼ばれたはずなのに、教室中の全員が振り返る。
授業終了のチャイムが鳴り終ると同時に2階のここまで上がってこれたってことは、自習だったのかな?
「今日は委員会ないし、一緒に帰ろー。」
たぱたぱと駆け足で私の横にやってくると、高波さんは濃茶のウェービーヘアを手櫛で整えながら、
座ったままの私の少し上から満面の笑みを投げかける。
「・・・うん。準備するからちょっと待って。」
私はそう答えて、教室の後のロッカーに鞄を取りに行く為立ち上がる。
「あれ、後輩ちゃん来たんだ。」
それを見ていた友達が振り返って私に声をかける。
「帰りに青山さんの見立てで小説選んでもらおうと思ったのに、ざーんねん。」
読書が趣味の彼女は、図書委員の私によく相談してくれる。
本が好きな私は、自分の知識で誰かが喜んでくれるのが嬉しくて図書委員の仕事を引き受けたけど、
それがまさか今の関係を生み出すなんて思いもしなかった。
「あ、うん・・・ごめんなさい。」
「いーのいーの。また今度お願いね。」
小さく微笑んで手を振り、彼女は他の友達のところへ行こうとする。
「むふー。ウチの愛を感じ取ってわが身を引くとは、流石ですねー、友人Aさんっ!」
ひょっこりと私の横にやってきた高波さんが口を挟んできた。
その言葉にひくっと反応し、もう一度こちらに向き直った彼女が高波さんを見下ろす。
「ちょっとぉ?だーれが友人Aよ! 失礼ねー、1年のクセに!」
「ふーんだ!ウチの氷音先輩に近づく人なんか、えーびーしーで充分やー。」
「近づくって何よ!ちんちくりん!身長制限で2年に進級できないんじゃない?」
「むっきーーー!!ウチのチャームポイント馬鹿にすんなや!!」
ドカンと高波さんの頭頂が噴火したように見えた。
入るタイミングが掴めない私は、ラリーが続くテニスの試合のように言い合う二人を交互に見守るしか出来ない。
「あ、あの・・・」
ようやく声を掛けた時には、胸の前で拳を握り締めた高波さんが友達に突進していってしまった。
ダ、ダメよ、暴力なんて!
口ベタの私には、その声が出なかった。
目の前で起こるであろう惨劇に、思わず目を閉じる。
「うーりゃうりゃうりゃうりゃー!!」
しかし、机が弾け飛ぶ音も、椅子が倒れる音もせず、教室には高波さんのアニメ声だけが響き渡る。
目を開けた私の目に飛び込んできたのは・・・
両腕をぐるぐると大きく回しながら飛び込んでいった高波さんが、友達が伸ばした腕におでこを押さえられて
むなしくその場でもがいている姿だった。
なんか、これってどこかで見た気が・・・
やがて電池を使い切ったおもちゃのように、腕の速度が落ちて行き、完全に動きを止めた。
「きょ、今日はこのくらいにしといたるわ・・・」
肩で息をする高波さんが、何事も無かったかのように制服のブレザーの襟を整えながら吐き捨てる。
しばしの沈黙が、教室を支配する。
・・・・・・
「いーのいーの。また今度お願いね。」
小さく微笑んで私に手を振り、今度こそ彼女は他の友達のところへ行こうとする。
「あ、あは・・・ごめ・・・」
「ええええぇぇぇぇ!」
右足を左足よりも左に出し、軽く姿勢を崩す高波さんが大声で私の小声を遮る。
「あ、ありえへん・・・何でそこで全員こけへんの? そこに二度乗せスルーやなんて、ウチ、返されへんかった。」
両掌を見つめながらロッカーに向かってワナワナと震える高波さんに、私はどう声をかけて良いのか解らなくて、
とりあえずロッカーから鞄を取って自分の席に戻り教科書を詰め込む。
「うふふ・・・まだまだ東京人のノリにはついて行かれへんわぁ・・・」
よろよろと私の元に戻ってきた高波さんが私の机にへたり込む。
「大丈夫?高波さん?」
微笑みかけた私を見つめ返す高波さんの顔が、みるみる笑顔を取り戻していく。
「負けへん!ウチ、負けへんよ!さ、氷音先輩、行こか!」
高波さんはガバッと起き上がり私の手を痛いほど引っ張る。
「ちょっと、まだ鞄のファスナーが・・・」
引き摺られるように教室を後にする私を、友達は生温かい笑顔で手を振って見送ってくれた。