Vier mädchen その13
桜の花びら舞い散る無人の校門を、良く磨き上げられた黒のクラウンがスピードも下げずに通過した。
正面玄関前で衝撃無く止まれるよう速度が落ちて、寸分の狂いも無くピタリと入口に横付けされる。
「ふぅ、参ったわね。」
運転手が車を降り、外側を回り込んで恭しく開けられた後部座席のドアから校庭へと足を出した私は、小さく
そう呟いて鞄を手にした。
まさか渋滞に巻き込まれて入学式に遅刻するだなんて、恥晒しもいい所だ。
時刻はまもなく、入学式が始まろうとしていることを告げている。
余分な時間を取られたくないので運転手への叱責は帰ってからにしよう。
そんな事を考えながら、体育施設棟の最上階にある講堂へと向かう為に私は小走りで階段を駆け上がった。
体育施設棟には備え付けの階段と、高校校舎の各階から出ている渡り廊下を使って入る事が出来るのだが、
備え付けの階段から講堂に入ると舞台の脇に出てしまう為、今は使えない。
既に生徒は講堂に集合している為、人気の無い廊下を私は駆け抜ける。
「ん・・・?」
4階の渡り廊下への扉を開けると、一人の生徒が廊下の外へ向いて立っているのが目に入った。
長い髪を春風に靡かせながら、少し背を屈めているように見える彼女の後ろを通らなければ中には入れない。
時間が無いので厄介事は御免だけど、遠目からでもはっきりと判るほど整った横顔が、私の脳の好奇心を司る
部分へと何かを語り掛けてきた。
「ねぇ、あなた。」
「・・・! ひゃっ、ひゃい!」
近寄ってもこちらを向かなかったので話しかけてみると、彼女はビクッと大きく肩を跳ねて驚いたように
こちらを振り返った。
潤んだ瞳と少し血の気の引いた唇が、どこか儚げな印象を私に刻み込む。
具合が悪くなって外の空気を吸っているだけなのかとも思ったけど、私の視線は彼女の胸元に止まった。
緑のリボンタイ。
私が身に着けているリボンタイの色は赤。
つまり彼女は、私とは学年が違うということ。
新入生しかいないはずの入学式の日に何故?
瞬時に状況と疑問が脳内に湧き起って来たのを抑え、怯えたように私を見つめ返す彼女に言葉を続ける。
「講堂に入りたいんだけど、ここから入ればいいのかしら?」
一歩近づく私。 一歩退く彼女。
そんな彼女が胸元に握りしめた拳を解き無言で指をさした先は、
下・・・?
「ちょっと、ふざけないで教えてくれないかしら?」
「ち、ち、違うの、その、靴が・・・」
からかわれたと思って詰め寄る私を、慌てて押し止めようとする彼女の目からは涙が溢れそうになっている。
そんなに威圧した覚えはないけど、それを見て、私の心が小さな音を立てた気がした。
「靴紐が、解けてる、から・・・」
雛鳥が必死に鳴き声を振り絞るような声でそう告げられて足元に視線を落とすと、制式のローファーではなく
編み上げショートブーツを履いている私の左足の蝶結びが、確かに解けていたことに驚く。
へぇ・・・
なんだか弱っているように見えるのに、なかなか良い観察眼を持ってるみたいね、この人。
感心した私の唇の端が僅かに持ち上がったのに気付いたからか、今にも決壊しそうだった彼女の目がようやく
落ち着きを取り戻そうとしているようだった。
「あら。 ありがとう。」
屈みこんで靴紐を結ぶと同時に彼女を見上げると、既にそこには穏やかな微笑みが浮かんでいて、まるで天から
遍く衆生を照らす慈悲のような、そんな優しさが感じられた。
「いーえ。 どーいたしまして。」
とくんと、私の心が揺れたような感覚がして、同じように視線が一度だけ、揺れた。
「私は 岩淵 紫鈴。失礼な態度を取ってしまってごめんなさい。 ・・・あなたは?」
立ち上がって小さく頭を下げ、改めて視線を合わせて問いかける。
「岩淵、さん・・・ あたしは・・・」
少し甘い音を乗せた声で名乗ろうとした彼女の言葉を遮ったのは、私が入ってきた方の扉が開け放たれた音。
「あら、湯島さん。 どうしたの? 入学式始まるわよ。」
見覚えのある初老の女性、それは明進学園高等学校の教頭先生。
「はい、ちょっと緊張してまして、式が始まるまで外の空気を吸っていました。 申し訳ありません。」
「あら、大丈夫? 生徒会長として初めての挨拶ですものね。 落ち着いてやれば大丈夫よ。」
生徒会長・・・
なるほど。彼女がここにいた理由はそれか。
突然背筋を伸ばした彼女の表情は、先程までの弱った面影など微塵も残していなかった。
凛とした伸びやかな声で受け答えた彼女の変化に、少し、戸惑う。
「それからそこのあなたも、早く席に戻り・・・ あら、岩淵さん。」
到着が遅れる連絡は、教頭にも伝わっていたようだ。
それもそのはず。
理事長よりも立場が上の、この学園への筆頭出資者の血族なのだから。
「教頭先生。 遅れましたが、只今到着したところでした。」
にこりと表情だけで微笑み、返答する。
「そう、いいのよ。渋滞なら仕方ない事ですもの。 さあ、もう二人とも席に・・・」
「教頭先生!」
講堂へ戻ることを促す教頭の言葉を、湯島さんと呼ばれた彼女は意を決したような声で遮った。
「わたくしは、彼女を・・・ 岩淵さんを、今年度の生徒会 副会長に指名します。」
・・・。
はぁっ!?