Incommensurate   その1


「やばい、間に、合って・・・」

駆け足に弾む呼吸の合間にそう呟きながら、私は混み合う成田空港の南ウィングでちらりと時計を気にした。
時刻は14:40を示しており、出発時刻まであと1時間ちょっとしか無い事を告げている。
成田空港なんて、幼い時にたった一度海外旅行に行った時以来で、授業が終わってすぐに飛び出してきたのに
思ってた以上に時間が掛かってしまった。

梅雨も終わり、これから暑くなってこようかという6月の今日は土曜日。
改札を出た直後から走ってきたものだから、適温のはずのターミナル内でも汗が止まらない。
事前に聞いていた出発ゲート番号と出発時刻だけを頼りに、私はひた走る。

昨日お別れは済ませたけど・・・
やっぱり今日も、いや、最後に、ひと目、会いたくて。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
出発ゲートへと続く通路の分岐点にあるミーティングポイントで、私は膝に手をつき呼吸を整える。
ぐるりと周囲を見回しても、人、人、人・・・
だけど、私が捜している『人』は、どこにも見当たらない。

そうだ、連絡を!
・・・閃いて学校の鞄の中からスマホを取り出そうとするも、私は続く閃きでその手を止めた。
故郷に帰る彼女は、もう日本で使える携帯電話を持っていない。

「ジェシー・・・」
やっぱり、諦めるしかないかな・・・
飛行機を利用しない私だって、海外へ行く手続きに時間が掛かる事くらいは知ってる。
搭乗手続きを済ませてしまっていたら、こんな所にはもういないし。

会う事は出来なかったけど、そう考える事で見切りをつけたら何となく気分はすっきりした。
二度と・・・会う事なんてできないのに、それでも6日前に、私はあんなことをしてしまったのを思い出す。
私は大きく溜息をついて、俯いている顔を上げた。

「トーコ!」

人の流れが途切れた、丁度その瞬間だった。
大きなキャリーバッグを連れ、頭上で大きく手を振って私を呼んだ声。
幻なんかじゃない。
はっきりと、私の心に染み渡る、明るい声。

重そうなバッグを引き摺りながらパタパタと、彼女は長いブロンドの髪を靡かせながら駆け寄ってきた。
「・・・あ・・・」
呼ばなきゃいけないはずの名前が、喉の奥に詰まって出て来ない。

「トーコ! 来てくれたね!」
バッグのハンドルが倒れるのも構わずに私を力強く抱き締めたものだから、勢いに押されて一歩右脚が下がる。
「ジェシー・・・」
時間が無いのに。
泣いてる場合じゃないのに。

それ以上の言葉が出て来なかった。

「明進の制服の人が見えたから、不思議に思ったね。 でも、絶対トーコと思ったね。」
至近距離で、顔をくしゃくしゃにしている私を見つめながら、ジェシーは嬉しそうに言った。
「あ、あぅ・・・」
涙が混じった言葉は、言葉にならなくて。

「トーコ、涙、もったいないね。 そんなにいっぱい出したら、熱中症になっちゃうね。」
私の額をTシャツ越しの胸に押し付けながら、ジェシーがアメリカンジョークで和ませようとする。
「ごめ、でも・・・」
大人びた花の香りが、言葉にならない言葉を、もっと溶かそうとする。

「トーコ。 わたし、絶対また日本に来るね。 昨日、約束したね?」
頭頂部から後頭部へと、私よりもほんのちょっとだけ大きな手が優しく撫で下ろした。
なんだか安心できて、嬉しくて、私はもそりとジェシーの胸の中で小さく首を縦に振る。

「わたし、絶対約束忘れないね。 だってトーコは、わたしの恋人ね。」

だめだ。
立っていられない。
嬉しくて、悲しくて、膝が立たなくなるなんて、ホントにあるんだ。

「だから、トーコ・・・」
全体重を預けきってしまっている私を支えながら、グレーの瞳でジェシーは私の目を覗き込む。
「今は、小さなサヨナラね。 これ日本で『またね』って言うね。」

またね。
小さくそう動いた唇は、自然と私の唇に重なって、小さく弾けた。

またね。
ジェシーの呟いた言葉が口移しで渡されたみたいに、私の口からも零れ出る。

最後に、ジェシーの少し冷たい頬が触れ合って、私達はお互いを腕の中から解放する。
チェックインカウンターへと急ぐジェシーは、もう私を振り返る事は無かった。
人混みへと走り去るその背中を、私は震える脚で必死に身体を支えながら、気が済むまで見送る。

またね、ジェシー。
私の、6日間だけだったけど、大切な、恋人。


 

 

 

 

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