Incommensurate  その5


昨年  8月30日 ・3

 

「 Oh , 畳の部屋! わたし憧れだったね!」
ぐるりと部屋を見回してから、ジェシーは嬉しそうに部屋の真ん中で手を広げながらくるりと一回転した。

さっきはなんか変な事言われたけど、予定より早く宅急便でジェシーの荷物が来て話が遮られ助かった。
・・・助かったって、何よ。
たまたま見つかったジェシーの日本語が、ああいう表現だったってだけで、それが表現通りの意味かどうかも
判らないのに、真に受けちゃって、どうするのよ、私。

「障子、畳、襖、鴨居、欄間、床の間、書院・・・ やっぱり本物はDadが作ったのとは風情が違うね!」
一つ一つ名前を呼びながら指差して、ジェシーのはしゃぎ様はまるで子供みたい。
お父さんに似て、彼女も日本の建築様式が好きなのかな。

「それに、靴を脱いで寛げるっていいね! やっぱり日本の家、わたし好きね。」
「あは・・・気に入ったみたいね。 で、荷物はどこに置けばいい?」
玄関先に置かれたままになっているいくつかの段ボール箱のうち一番重い、体感重量2 t の荷物を抱えながら、
わたしは相槌もそこそこに切り出した。
数ある箱の中からわざわざこれを選んできたのは、もしかしたら進んで苦行(?)を行う事で、少しはジェシーの
発言から冷静になれるんじゃないかと思っての事。
でも、コレ、マジで重いんだけど・・・

「ありがと、トーコ。 ここでいいね。」
指差された場所にゆっくりと荷物を下ろし、私は大きく溜息をつく。
「はぁ・・・ すっごい重いんだけど、何が入ってるの?」
「これは、わたしが日本に来たいと思ったきっかけね。」
何気なく聞いたこの一言に、ジェシーは箱を開けながら目を輝かせて説明を始めた。

中から取り出されたのは、一冊の本。
多分、日本人なら誰でも見た事のあるキャラクターが描かれたその表紙は、もちろん私でも知っている。
『セパレーツ!』
数年前から大人気でアニメも放映中、少年漫画誌に今も掲載され続けている海賊が主人公の話。
もともと一つだった莫大な財宝を、発見した二人の海賊が分け合って持ち帰り、数世代を経た世界でその子孫が
相手勢力の持つ半分を手に入れようと世界規模で争うって言う内容。

「日本のマンガ、アニメ、わたし大好きね。 the statesでも英語版出てるけど、わたしは原書で読みたいね。
だから日本語勉強したし、もっと他にも沢山マンガ読みたいね。」
留学の動機を語るジェシーは、その手に持ったセパレーツ!の1巻を愛おしげに胸に抱いた。
ペットを可愛がるような溺愛の表情を浮かべているあたり、どのくらい好きなのかが窺える。
「そうなんだ、じゃぁ明日本屋に行かない? 案内してあげる。」
「 Oh! トーコ、行きたいね! 約束ね!」

嬉しさのあまり腕を広げて立ち上がったジェシーは、そのまま私を強く抱き締めた。
青りんごジュースの様な爽やかな香りに包み込まれ、またしても一度だけ鼓動が強く跳ね上る。
「あと、服も見たいね。 荷物には服ちょっとしか持ってきてないね。」
ジェシーの感情表現にいちいち反応してたら、身が持たない・・・
て、て、てゆーか、何をこんなに意識してんのよ、私。

「わ、わかったから、放して・・・」
私の懇願は、ジェシーの口とは別の、もっと低い所から何かが呻くような音によって叶えられた。
「 Oh ・・・ トーコ、お腹空いたね。 近くにCafeはある?」
次から次へとハプニングがやって来る。
時刻は午後4時過ぎだから、中途半端な時間に食べちゃうと夕飯食べられなくなっちゃうだろうし・・・

ん?
ここで、何かが私に囁きかけた。
それは直感というか、突然、やって来たのだ。

「ジェシー、日本とロサンゼルスの時差って、どれくらい?」
脈絡の無い私の質問に、ジェシーはどうしたのかという表情になってから答えた。
「確か17時間ね。 トーコ、それ、関係ないね?」
17時間という事は、ジェシーがもしアメリカに居たら夜の11時。
飛行機で機内食を食べていたとしても、それはお腹も空くはずよね。

「んーん。関係あるよ。 ジェシー、機内食の後、何も食べてないんでしょ?」
「はい、食べてないね。」
今度は私の話の意図がジェシーに伝わらず、首を傾げられてしまう。
「今すぐ夕食の準備するからさ、先にお風呂入ってきなよ。」
「 Oh , トーコがご飯作るね? 楽しみ!」
「うん、ごめんね、だからちょっとだけ我慢して。」
私の提案に、ジェシーが破顔する。

「わかったね。 それまで、わたし荷物片づけるね。」
まずはお風呂の準備をするために、私が立ち去ろうとするその背中に、ジェシーがぽつりと呟いた。
「トーコ、それが日本の『気遣い』という文化ね。 なんか、嬉しいね。」
「え?」
「トーコ。 ありがと。」
上手く聞き取れず聞き返した私に、ジェシーは優しい微笑みを浮かべた。


 

 

 

 

その4へ     その6へ