Incommensurate  その4


昨年  8月30日 ・2

 

「トーコさん、これからお世話になるね。 わたし、Jessica Whitford。 Los Angelsから来たね。
ジェシーって呼んで欲しいね。」
「あ、いえ、こちらこそ・・・ 私は、灘 塔子。」
初対面で、いきなりで。
改めて自己紹介されたにもかかわらずついそっけない返事を返してしまった。
外人さんだし、どう接したらいいのかな。

「学校は、ここから車? バス? 電車?」
私よりも結構高い位置から掛かる楽しそうな声が、蝉の鳴き声を追い越してやって来る。
「学校へは電車で25分くらい。 途中で一回乗り換えます。」
「 Oh, 電車通学。 日本の電車、時間通りに動くので有名ね。」
ゴロゴロと、巨大なキャリーバックを転がしながら、ジェシーさんがアメリカで得た知識を披露した。

「ジェシーさんは、日本は初めて?」
私の質問に、彼女が大きく顔を歪める。
「トーコさん、ジェシーにさん付けるの、なんか変ね。 ジェシーって呼んで欲しいね。」
「あ、そう、なんだ・・・ ごめんなさい。」
何かよく分からないけど、まぁ、あだ名にさん付けは確かにおかしいかもしれない。
「 No , No , トーコさん悪くないね。 トーコさんはなんて呼ぶのがいい?」
胸の前で驚いたように両手を振り、軽くお化粧をしている目元を大きく見開く。

「あ、じゃ、じゃあ・・・ 私も呼び捨てで、塔子でいいよ。」
ジェシーの一方的な空気に飲まれ、ついそう答えてしまった。
グイグイと押してくるような、矢継ぎ早のコミュニケーションにあっという間に丁寧語を崩される。
「トーコ。 可愛い名前ね。」
本気でそう思ってくれているのだろうか、優しい微笑みと共に贈られた言葉が、私の胸を打つ。
「あ、ありがとう・・・」
社交辞令という可能性も忘れ、目が合わせられなくなってしまったのは、何故かしら。

「ここが家よ。 どうぞ。」
会話のペースが乱されていたからだろうか、いつもより少し早く家に着いた。
「 Oh! 素晴らしい! That's 日本のお家ね!」
我が家は、昔ながらの木造2階建て家屋。
ちょっとした庭園があったり、車が4台入る駐車場があったりと、まぁ、都心に構える住居にしては大きい
というくらいの事は子供の頃から判ってる。

門を開け、玄関までは私の足で丁度40歩。
隣ではジェシーが物珍しそうに周囲をキョロキョロと見回している。
「Losのわたしの家にも、Dadが作った庭があるけど、本物は違うね! わたしが見ても違うってわかるね。」
興奮気味に話すジェシーの感動は、見慣れている私には理解し難かったけど、あまり嬉しそうだから、つい
つられて私も微笑んでしまった。

「トーコの笑顔は、可愛いね。 あ・・・ 可愛い? 奥ゆかしい? 麗しい? umm・・・」
私の横顔を見ていたジェシーが、足を止めて何事かを考えだした。
「どうしたの?」
「トーコ。 今のトーコの良い笑顔にピッタリな日本語が無いね、なんて言ったらいい?」」
「え、笑顔?」
自分の笑顔が評価された事なんて今まで無かったから、その言葉に驚いた私は思わず聞き返してしまった。

「そんな、良い笑顔なんて、私は、そんな・・・」
お世辞にも程がある。
笑顔を気にした事なんて、今まで一度も無い。
というより、笑顔なんて無意識に出るものであって、自分で良いか悪いかなんて判りようがない。

言い淀んだ言葉の先をどう繋ごうかと困っているうちに、ジェシカがはたと手を打った。
「 Oh , トーコ! あったよ、日本語の sentence!」
そして、今日のこの、真夏の日差しのような純粋な笑顔で、彼女はこう続けた。

「わたし好みな笑顔、ね。」

ツクツクボウシの鳴き声が、その瞬間だけ、見計らったように止まっていた。


 

 

 

 

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