Incommensurate  その12


  5月 31日 (金)・2

 

 

目を閉じてしまったので感覚が唇一点に集中してしまい、私は続きを求めるように顔を突き出す。
何度も、何度も、離れてはくっつき、その度に波紋のようなふわふわが脳に拡がっていく。

静かな夜の暗がりの中で、聞こえるのは髪が枕に擦れる音と、間近で絡みあう二人の呼吸と、ジェシーにも
届いているんじゃないかと思えるほどの、私の激しい鼓動。
頭に置かれていたジェシーの手が私の髪を除けて頬に添えられ、キスの角度が深くなる。
私の下唇が、ジェシーの唇全体で包み込むように吸われて、一緒に私の心まで吸い込まれてしまうのではと
いうありもしない不安にかられて、私もジェシーの身体に腕を回す。

「トーコ・・・」
キスの合間に囁かれた、私の名前。
「ジェシー・・・ あのね、」
ほんの少し肩を持ち上げ、改めてジェシーに向き直る。

どうして私の告白を受け入れてくれたの。

そう尋ねるはずだった私は、その言葉をすんでのところで飲み込んだ。
聞きたいけど、聞きたくない。
聞くこと自体が、ジェシーを疑っている証拠になってしまうから。

そんな心中など知る由も無いジェシーが、枕の上で優しく微笑みながら私の次の言葉を待っている。
灰色の瞳が真っ直ぐに私を見つめていて、その先には、私だけ。
ジェシーが、今、見ていてくれてるのは私だけなんだと思うと、また涙が溢れてきそうになる。

それがこんなに嬉しいなんて、やっぱり、私はジェシーの事が好きなんだ。

「ジェシー・・・ 好き。」
溢れる想いと共に零れた、その名前。
抱き締める腕にもその一端を乗せて、愛しい人を引き寄せる。

パジャマ越しの二人の間に籠る熱が布団の内側に蓄えられて、私の気持ちのように温度が上昇していく。
でも、それすらも気にならないほど、私自身が熱くなっているんだと気付くのは、ジェシーが私の唇の間に
舌を滑り込ませてきた時だった。
「んっ・・・」
鼻息が漏れ、仰け反りそうになった私の後頭部にジェシーが手を添えて逃がすまいとする。
唾液を纏ってぬめる舌は、そのまま私の舌の先端をくすぐるように撫でてくる。

「んぅ・・・ ん・・・」
喉の奥から自分でも知らない音が漏れ出たことに驚いて顎を引くと、私に侵入していたジェシーの舌が抜けて
ぼたりとひとしずくの唾液が枕にしたたり落ちた。
「トーコ、顔、熱くなってるね・・・」
私の頬を撫でながら、ジェシーが悪戯っぽいような、妖しげな笑みを浮かべる。

「ん・・・ だって、そんな。 そんな、キス・・・」
私の口の中に残された二人分の唾液を飲み下してから頭の中を探してもなんだかふわふわして、続く言葉が
見つからない。
「好きだから、こんなキスできるね?」

枕の上で、金と黒の長い髪が重なる。
両手の指を絡ませ手を繋ぎ、何度も舌を躍らせながらお互いの口内を行き来する気持ちを受け止めあう。
「んっ・・・ はぁ・・・」
「 Ah ・・・ um ・・・」
唇だけでなく顔ごと押し付けてくるようなジェシーの激しいキスに、私の鼓動もどんどん加速していく。

このまま舌を通じて二人の意識が溶け合ってしまうんじゃないかと思える程の深いキスが、不意に途切れた。
受け入れきれなかった唾液が口元に張り付いている事に気付けもせず、私はただ荒い呼吸を繰り返す。
今の自分がどんな顔をしているのかは分からないけど、多分、それよりはかなり落ち着いているように見える
ジェシーの表情が、なんだかちょっと腹立たしい。

と、布団の中で結んでいた手が解け、ジェシーの手がそっと、窺うように私のパジャマの中に潜り込んできた。

「 !! 」

無意識だった。

本意ではなかった。

なのに、私は・・・

思いも掛けなかったジェシーのその手を、私は払ってしまったのだ。

「 !  ・・・」
私が自分の行動にハッとしたのと同じように、ジェシーもほんの一瞬だけ、驚いたような表情になった。
吐息の届く距離で、くるりとグラスアイのような瞳が跳ね、それはすぐに平静を取り戻した。

「 oh , sorry ・・・ トーコ 。」
「ごめん! ジェシー、違うの、今のは・・・」
慌てて続けようとする言葉を、ジェシーはファーストキスの時の様な、小さな口付けで閉じ込めた。

「そろそろ、寝よう。 ね、トーコ。」
「あ・・・」
穏やかな微笑みを浮かべたジェシーの胸に、私は顔を押し付けるように飛び込んだ。

何という事をしてしまったのだろう。
その上、浮かれていた気分が一気に覚めた事で、私は気付いてしまった。
今飛び込んだジェシーのパジャマは最初からボタンが二つ外れていて、いつも身に着けている小さな十字架の
ペンダントトップが月の光を避けるかのように陰に潜んでいる事に。

ジェシーは、最初からそうするつもりだったんだ。

気付いてあげられなかった事に、拒んでしまった事に、ゾワリと鳥肌が立ち身体が震えだした。
そんな私の背中に、再び温かい手が回される。

「おやすみ。 トーコ。 Have a dream together . 」

ごめんね、ジェシー・・・
後悔と自己嫌悪から逃げる為に、私は強くジェシーにしがみついた。

きっと、私が発している振動に、ジェシーは気付いているのだろう。
赤子をあやすように、子供を落ち着かせるように、ゆっくりと私の背中をさするジェシーの掌は、まるで
クリスマスに教会で見た聖母像から差し伸べられた手が宿ったみたい。

そのせいか、私は再び顔を上げることなく、そのまま翌朝を迎える事になる。
私の身体の震えが収まるのを見計らうように掛けられた言葉に、安心したから、なのだろうか。

「トーコ、わたし、絶対に、また日本に来るね。 約束ね。」

 

 

翌朝、目覚めを告げる電子音で目を開けた私の腕の中に、愛しい人の温もりは残っていなかった。
帰り支度でもしているのか、ジェシーは私より先に部屋を出たのだろう。

ちらりと自分の掌に視線を移して、ぐっと握り締める。
思い出したくも無い昨夜の出来事を拳の中に押し込めて、私はベッドを後にした。


 

 

 

 

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