Look at me その5


白い軽自動車の前には、いつも通りのブラウスと黒いタイトスカートに身を包んだ瑠奈さんが
佇んでいて、私達を見つけると大きく一礼する。
由梨も一礼を返しながら、二人でそちらに近づく。
「速水様、ご機嫌麗しゅう存じます。」
「あ、はい、こんにちは。」
堅苦しい空気と緩やかな空気がぶつかって、私の目の前をもやもやさせる。
「お嬢様、申し訳ございません。送迎用の車のエンジンがトラブルを起こしてしまいまして、
急遽わたくしの買い物用の車で参りました。どうか本日はご容赦頂きたく・・・」

瑠奈さんは畏まったように後部席のドアを開けたので、
「そう、まぁ、仕方ないわね。」
と、私はわざと反対側のドアに当たるほどの勢いで鞄を放り込む。
別に誰が悪い訳じゃないけど、鞄がドアに当たる音に顔を歪めた瑠奈さんの困った顔が、私は好きなのだ。

「あ・・・じゃぁ、また明日ね。蘭ちゃん。」
車に乗り込もうとする私に、由梨は胸の位置で小さく手を振る。
「えぇ。気をつけてね。」
振り返そうとした手をクッと握り締めて微笑だけを返すと、由梨は駅の方へ戻るため踵を返す。
その背中を気が済むまで見送り、私は車に乗り込む。

「お疲れ様でした、お嬢様。狭い車内で申し訳ございません。」
右側を気にしながら発車する瑠奈さんが、もう一度謝った。
彼女はウチのハウスキーパーで、ほぼ私専属で働いている浅川 瑠奈さん。
私が中学に上がった時、彼女のお母さんがウチのハウスキーパーを辞めたのを期に働き出したのだけど、
高校在学中からハウスキーパーの修行をしていたらしく、卒業したての当時からなかなか要領を得ていた。

「気にしないで。それより、ジャンキーと守銭奴は?」
私が勝手に親に与えている敬称で瑠奈さんに確認する。
ジャンキーとは働くためだけに生きているワーカホリックな父親で、守銭奴とはそのままな母親を指している。
「旦那様は本日より週末までニューヨーク支社へ。奥様は明日までロンドンの社交会へお出掛けです。」
瑠奈さんは慎重に目線を配りながら、バックミラー越しに答えた。
ふん。いなくてよかった。
幸いにして、両親はいないことのほうが多い。
だからこそハウスキーパーが何人も必要なのだけれど、寧ろ私には・・・その方が居心地が良い。

運転席で揺れる、キャラメル色のショートヘアの毛先に視線を注ぐ私の事など気づくはずもなく、
黙々と車を運転する瑠奈さんに、私はあの言葉を囁いてみる。

「そう。雲が晴れているのなら、今夜は月が綺麗に輝きそうね・・・」

その言葉に僅かばかり瑠奈さんが反応して、一瞬エンジンブレーキが掛かった。
バックミラー越しに送る挑発的な私の視線は、控えめにマスカラが盛られた瑠奈さんの目を彷徨わせる。
そんな仕草を捉えると、思わず唇の端が持ち上がってしまう。
「もし、私と一緒に夜空を見上げてくれるなら・・・10時に来て頂戴ね。」
緩やかにウェーブを掛けた長い髪を耳にかけてから、身を乗り出して瑠奈さんに囁く。
「もちろん今回も・・・これは仕事とは関係ないから、来るか来ないかは任せるわね。」

瑠奈さんの香り漂う距離から座席に戻り、脚を組み替え外を見る。
「か、畏まりました・・・」
その声は、対向車線の車のクラクションよりもはっきりと私の耳に届いた。

 

 

 

 

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