Look at me その6


「失礼致します。」
部屋のドアがノックされて、カタカタとティーワゴンを押しながら瑠奈さんが私の部屋に来たのは
ちょうど経営学各論の通信講座テキストを閉じた時だった。

「お嬢様。お茶をお持ち致しました。」
私から3歩離れた位置にワゴンを止めた瑠奈さんに、私はゆっくりと椅子を回して振り返る。
「ありがとう。頂くわ。 それとこれ、終わったから明日にでも郵送しておいて。」
テキストを封筒に入れて立ち上がり、ティーワゴンの中段に置く。
「畏まりました。」

慣れた手つきでカップにお茶を注ぐ瑠奈さんは、小さく微笑みながらそれが置かれた場所を確認する。
「本日は、リラックスとストレス解消に効果のある茉莉花茶をご用意致しました。」
私の左側からカタリと置かれたティーカップからは、清々しい茉莉花の香りが優しく立ち昇って
心の凝りを解してくれるような気がする。
それはまるで瑠奈さんの気遣いのように暖かく柔らかい。

ここ最近、瑠奈さんが中国茶に熱中しているのは私も知っている。
夕食の時にアイツらにも振舞ってたりするし、このティーワゴンの下段の引き出しにはティーサロンでも
開くのかと思えるほどの種類の茶葉の瓶が入っているのも見たことがある。
そして私の、無意識の小さな仕草や機嫌の違いで茶葉を変えているようなのだ。

なんだか見透かされているようで、非常に腹立たしい。

ただ、それで優越感を得ようという人ではない事は解っているし、これだけ私を気遣ってくれるのは・・・
悪い気はしない。
全く、イヤなのか嬉しいのか自分でも判らないのがますます腹立たしいのよ。
そんな思いを抱えながらカップを口元に寄せて傾けると、適温のお茶がするりと胃に流れ落ちていく。

小さな溜息と共に茉莉花の香りを吐き出し、横に佇む瑠奈さんを見上げる。
「良い香りのお茶ね。おいしいわ。」
「お気に召して頂けましたら何よりでございます。」
ほっとしたように微笑んだ瑠奈さんはワゴンを部屋の端に寄せて、また私の横へ戻ってくる。

「ねえ、瑠奈さん。そういえば『出来損ない』はまだ会社を倒産させたりしてないわよね?」
私の、1歳下の弟への敬称を聞いた瑠奈さんは小さく眉を顰めて俯く。
「お坊ちゃまは着任早々の方向転換が功を奏し、順調に経営陣を纏め上げているそうでございます。
とても高校生に成りたてとは思えないと、旦那様も奥様もお喜びです。」
今年高校に入学したプレゼントとして子会社のひとつを任された弟。
当初はその程度なら無くなっても構わないからやってみろ、なんてジャンキーが言ってたけど
私にはそれが憎かった。

男だからと言うだけの理由で後生まれのクセに跡継ぎに選ばれたり、会社を任されたり。
女だからと言うだけの理由でのちの政略結婚の道具としてしか扱われなかったり。
実力は私のほうがあるのに。
お小遣いを元手にしたデイトレードで9桁もの貯金だって稼いでいるのに。
この前の先行投資だって、私の進言があったから無駄金使わなくて済んだのに。
・・・他にも思い出せばキリが無い。

「そう・・・それはおめでたいことね。」
全ての負の感情を胸の奥に封印し、いつものポーカーフェイスを取り戻してバルコニーの外に視線を移す。
雲ひとつ無くても星など見えない都会の空は、明るく、寂しいもの。
椅子から立ち上がり、窓に歩み寄って見上げた先には・・・

不安げな光を放つ満月が、ひとつ。

その月に手を伸ばし、親指と人差し指の間で摘むように当てはめてみる。
由梨がくれる飴玉のような黄白色のそれを、取ることなど出来ようはずがないけれど。
指の形をそのままに胸元に引き寄せてみても、それを一緒に引き寄せることなど出来ないけれど。
私は・・・

と、不意に私の腰に腕が回されて、背中に暖かい感触。
「瑠奈さん・・・」
「お嬢様。 お嬢様は昔から月がお好きでいらっしゃいますね。」
昔・・・というほどの付き合いではないけど、4年も一緒にいれば気づいても不思議は無い。
「そうね・・・」
あえて理由は語らない。語るほどのことじゃないから。

「では、『月』の名を持つわたくしに・・・こういうことを・・・望まれるのも?」
腰に巻かれた腕を解き、そんな囁きを一笑に付す。
「ふん。偶然よ。自惚れないで。」
そう言って私は、届かなかった指を瑠奈さんのブラウスのボタンに伸ばした。

 

 

 

 

その5へ     その7★へ