Never open doors   その14


9月 2日  雨   16:32

place 2F 女子トイレ

 

トイレに用事のあるロミオを見送って、わたくしは洗面所の鏡に向かう。
先程までの肝試しで疲れ切った顔色が思ってるよりひどくて、溜息が出てしまう。
怖い物好きな優緒さんはともかく、私と同じくらい怖がりだと思っていたロミオが意外と平然としていたのが
意外と言うか、なんだか少し寂しくて。
後ろのドア越しに聞こえる、かちゃかちゃとベルトを外す音につい聞き耳を立ててしまう。

何度も見た事がある、今日はデニムのハーパンを着ているロミオの太腿を思い出す。
まるでアスリートのように鍛え上げられた筋肉で構成されているそれは余分な脂肪が一切なく、そのおかげか
引き締まったヒップからくびれたウエストへのラインは芸術作品のよう。
空手も陸上競技も、ただ運動してるってだけで、ああまでカッコ良くなってるのはロミオだけ。
男子部員顔負けの強さで、速さで。
女子のファンも多いのは知ってるけど、わたくしの気持ちは、そんなミーハー気分じゃない。

ずっと、子供の頃からロミオを見てきたわたくしだから。
ロミオ、わたくしは、あなたを・・・

わたくしがいる事を意識してか、用事の音を誤魔化す為の水を流す音が聞こえたと思った次の瞬間、

それは、起こった。

「きゃああぁ!!」
ロミオのいる個室の扉の奥から、突然聞いたことも無い悲鳴が聞こえてきて、ビクンと全身が跳ねた。
聞いたことも無い・・・?
いや、間違いなく今のはロミオの声。

「ロミオ!? どうしたの、ロミオ?」
わたくしはすぐさま駆け寄り、扉を叩きながら何度も呼びかける。
しかし返事は無く、ただ水の流れる音が聞こえるだけ。
やがてはそれも収まり、タンクに水がたまるチョロチョロ音が聞こえてくるだけとなった。

それでも、まだ返事は、無い。

「ロミオ? 大丈夫?」
内鍵を開けてもらえない以上は中を確かめる事も出来ないので、わたくしには呼びかける事しかできない。
何があったのかロミオが心配で、それでもこれしかできない我が身がもどかしい。

「どうしたの?」
3人分の足音がやってきて掛けられた、聞き慣れた優緒さんの声に振り返る。
「ロミオが急に悲鳴を上げたんだけど、入れなくて、わたくし、どうしたら・・・」
うろたえながら説明をしていると、ガコンと音がしてトイレの扉が開いた。

「ロミオ!」「路美花ちゃん!」「ロミオちゃん!」「江曽!」
全員が、そこに白い顔で立っている人物の名前を呼んだ。

ロミオは扉のこちら側を一通り見回すと、少し安心したのかようやく口を開いた。
「水が・・・ 水が、赤い、水が・・・」
一刻も早く離れたかったのか、慌てて個室から飛び出したロミオがわたくしの肩に手を掛け目で訴えてくる。
「ロミオちゃん、そーゆー冗談はよくないぞ。」
湖那さんが人差し指を横に振って窘める。

けど、わたくしには分かる。
ロミオはそんな嘘をつく人じゃないうえに、嘘だったとしてもこんな演技ができる人じゃないから。
それに、私の肩を掴む掌の力は、ただ事ではない状況に怯えているとしか思えない。
その手にそっと自分の手を重ね、わたくしはロミオに少しでも安心してもらえるよう祈る。

しかし、ロミオを信じるという事は『異変』の存在を認めるという事になる。
七不思議のひとつ『2Fのトイレの水が赤く染まる』---------
だからこそ、わたくしは動くことが出来なかった。
ロミオを信じているから。
絶対そんな事が起こるはずなんかないと、思っているのに。

思っているはずなのに。

わたくしの横をすり抜けて代わりに個室を覗き込んだのは、湖那さんと優緒さん。
「なんとも・・・ないじゃない。」
本当に期待していたのか、優緒さんが残念そうな声を出した。
念の為と思ったのか、ハンドルを押し下げて水を流してみても、優緒さんは湖那さんと顔を見合わせて小さく
横に首を振っただけだった。

「そんなはずないよ! 確かに水が・・・」
「うん、わかったよ、ロミオちゃん。 じゃぁさ、こうしよう。」
何とかわかってもらおうと食い下がるロミオに、湖那さんが何かを思いついたみたい。

「わたし達は一旦ここから出るから、ロミオちゃんは用事を済ませたらいい。 で、流すときに呼んでくれるかな。
あ、もちろん中を見たりはしないよ。扉を開けたまま流してくれればいいだけなんだけど。」
湖那さんの言葉に、ロミオは少し考える。
てゆーか、湖那さんってばロミオに何てこと言ってるのよ!
そんな恥ずかしい事させるなんて全くこれだから新聞部は・・・

「うん。わかりました。」
「協力ありがとう。 さ、わたし達は一旦出ましょう。」
ぱっぱと手を払うように、わたくし達をトイレから追い出した湖那さんは、その足で一旦教室へ戻ると、今度は
カメラを持ってすぐさま戻って来た。

トイレの前で待つ誰もが、緊張した面持ちで一言も声を出さない。
この扉の向こうでロミオがしている事を想像すると・・・
あっ、こ、こほん。
この扉の向こうでロミオが戦っている恐怖の事を思うと、無事であって欲しいと願わずにはいられない。

「あの、お待たせ・・・」
入口の扉から顔を出し、ロミオはわたくし達を呼び寄せる。
湖那さんが合図をしてわたくし達は洗面所の位置で待機する。
「流すよ。」
個室のドアは開けたまま、ロミオが意を決してトイレのハンドルを、下げた。

 

 

 

ごぼ・・・

 

 

 

異様な音に、全員が気付いた。
慌てて個室に駆け寄ると、最も近くでそれを見てしまったロミオが、小さく一歩後ずさった。
「あっ!」
声を上げたのは、誰だったのだろう。 あるいは、わたくしだったのかもしれない。

勢いよく流れ出すはずの洗浄水はそこには無く、
やや重たい質感の赤い水が、和式便器の吐水口からとろとろと流れ出していた。

それは濁っているようにも見え、まるで、血液を連想させるような、深い、真紅の、液体。

呆然と、ただ、全員がその光景を見つめていた。


 

 

 

 

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