Never open doors   その15


9月 2日  雨→?   16:54

place 2F 2年2組教室

 

誰もが、口を開けずにいた。
さっきのは何だったんだろうね。ねー、気持ち悪ーい。
そんなやりとりすらできない程のインパクトが、先程起こった出来事にはあった。
このわたしが、カメラを持っていったにも拘らず、呆然と立ち尽くしてしまったくらいだから。

とりわけ、優緒は他の誰よりもショックを受けているようにみえる。
これが雑誌に載っていた情報だったら喜々として語ってもおかしくないほどの出来事だったのに。
席で俯いたまま膝の上で拳を握りしめ、ぎゅっと結んだ唇は暫く開きそうにない。
オカルトが好きといっても、実際にそんな現象に遭うのは初めてなんだろうし、好きだから平気でいられる
というわけではないはず。
メディアを通して『安全』な所から怖い物事を知るのが好きなだけだから、自分が当事者になってしまうなんて
思ってもいなかったに違いない。

そういえば・・・

ふと顔をあげて窓の方を見る。
どうも静かだと思ったら、いつの間にか雨は止んでいたようだ。

「雨が、止んだみたい。」
わたしの口から、ポロリと言葉がこぼれ落ちた。
それは、誰も何も言わない状況を打破したかったのか。
雨宿りが終わって家に帰れると思ったからなのか。
それとも、別の何かなのか。

そして、そんなつもりもなかったのに、その言葉に導かれるように皆が一斉に窓へ駆け寄る。
ただそれだけならば、良かったのに。

「あっ! あれ・・・」
クイーンの声だった。

クイーンの声でなかったら、わたしは席から立ち上がることができただろうか。
顔を向けた先ではクイーンが窓の外を指さして、言いかけた言葉の先を言えないまま止まっていた。

 

 

 

窓の外---------

 

雨の止んだ薄明かり差す校門の方を見遣ると、

 

いつの間にそんなものが置かれたのか、何やら巨大なオブジェが立っていた。
教室からグラウンドを隔てた距離があるのに、はっきりと肉眼で確認できるほどの大きさがあるそれは、
明らかに不吉で異様な雰囲気を漂わせていて、脳が見る事を拒否している気がする。
曲がりくねった頸部の先に馬のような頭、全体は鳥のような形をしているのに翼は蝙蝠のよう。
一体どこの誰が、こんな造形のオブジェを思いつくのだろう。

 

不意に、像と目があった。

-----ような気がした。
いや、そもそも目があるのだろうか。
目? ただの像に、目?
あんな巨大な物体が、こちらを見ているというの?
考えれば考えるほど、そこにある存在が、現実離れしていく。
不可解な構築物から、目が、離せなくなっていく・・・

 

 

 

視界の隅に、割り込んできたものがある。
いや、あれは人だ。
校舎の方から一直線に校門目指して走っていく、その後ろ姿は。
半袖のワイシャツに灰色のスラックス。
がっしりとした体格で、ごま塩角刈り頭。

その人物は、巨像に駆け寄ると、必死で何かを語りかけ始めたようだった。
もちろん、何を言っているのかは窓ガラスを隔てたこちらには聞こえない。
何度も頭を下げ、手を広げたり指をさしたり。
何をしているのか、まったく理解できなかったけど、

次の瞬間、わたしの考えの根幹だったものは、粉微塵に吹き飛ばされてしまった。

 

 

巨像は、僅かに頭部を動かし、守口先生を覗き込むような仕草をしたのだ。

巨像は、像ではなく、生きていた。
あれは、生き物だったのだ。

薄日を浴びてぬらぬらと輝く体躯はよく見れば鱗に覆われており、先生の身長の3倍以上はあろうかという
位置にあった頭部を、素早く先生の頭上まで下ろした。

-----それまで不安で済んでいたものが、わたしの中で恐怖へと変貌した。
信じられない出来事が目の前で起きている事で、思考が溢れかえってしまう。
あんな生き物は、見たことも聞いたこともない。
テレビだって、図鑑だって、インターネットだって、あんな生き物がいるなんて教えてくれなかった!
あんな生き物が、どうして突然学校にやってきたのか!?
あんな、あんな、あんな生き物が・・・

さらに見開いたままのわたしの目には、映ってしまった。
巨大生物が大きく口を開け、守口先生の上半身をすっぽり咥えこんでしまったのが。
先生の下半身は、しばらくの間じたばたと激しくもがいた後、だらりと垂れ下がり動かなくなった。

異形の生物はキリンのように長い頸を振り子の如く動かし、先生の体を校舎の方へ向けて吐き出した後、
何事も無かったかのようにまた元の姿勢に戻り動かなくなった。

わたしは全身に力が入ったまま、窓の向こうの出来事を、ただ、見ていた。
それはパソコンの画面の向こうの中継を見ているようなのに、紛れもない現実。
だとしたら、先生は・・・?

「あ、あ、あぁぁ!!」
すぐ近くで起こった悲鳴が、どこか遠くから聞こえたようだった。
悲鳴と同時に駆け出す足音が、教室のドアを開け放って遠ざかっていく。

「ジュリ!!」
ロミオちゃんが足音の主の名を叫んでも、それが止まる事は無かった。

「ジュリ・・・」
そして後ろから呟くような声が、聞こえた。
さっきまでジュリちゃんを『鳳』と呼んでいたはずのクイーンから聞こえた言葉を不自然に思い、振り返る。
「クイーン・・・?」
「クイーン・・・」
窓の向こうに顔を向けたまま直立不動のクイーンが、今度は呼ばれた自分のあだ名を、ぽつりと口から溢した。

ジュリちゃんもクイーンも、どうしちゃった訳!?
「湖那さん! 僕はジュリを追っかけます!」
「わ、私も!」
ロミオちゃんと優緒が、それだけ告げて慌しく廊下を出て行こうとする。
「待って! クイーンが!」

「こなさんぼくはじゅりをおっかけますわわたしもまってくいーんが」
「クイーン! しっかりして!」
「くいーんしっかりして・・・」

わたしは窓とクイーンの間に身体を押し込むように割って入り、見てはならない物が映っている視界を遮る。
「クイーン! どうしちゃったの?」
肩をしっかりとつかんで揺さぶっても、クイーンは全く反応しない。
ただ一点を見つめたまま、わたしのかける言葉を繰り返すだけ。
「くっ、湖那さん! 僕達だけで行きますよ!?」
引き留めたはずのロミオちゃんは吐き捨てるように言い残し、優緒と共に開けっ放しの入り口を走り出て行く。

「クイーン・・・」
もう、わたしにはクイーンを抱き締める事しかできなかった。
外が見えないよう、わたしよりほんの少し低い位置にある金色の頭を胸に抱えて。
それは、クイーンを安心させたかっただけでは無かったのかも知れない。
わたし自身も混乱から目を背けたい一心で縋りついただけなのかも知れない。
ただ、どうしたらいいのか分からなくて、逃げたいだけなのかも知れない。

それでも。

わたしの願いが届いたのか、抱き締めていた身体がゆっくりと、私の背中に手を回してきた。
「湖那・・・」
私の胸元から、弱々しいながらも力のこもった声が、呼びかけてきた。
「クイーン・・・」
覗き込む瞳にも光が戻り、先程までの空虚さはもう、無い。

「ごめん、湖那・・・ ありがと。」
「クイーン・・・」

今度は、わたしにそれが伝染ってしまったかのように、何度も抱き締める友の名を呼び続ける。

泣き出しそうだった。
元に戻ってくれたという事が分かって、崩れ落ちそうだった。

でも、今はそれをすべきじゃない。
その思いだけが、私の膝を支える。

「湖那。 先生を、助けに行こう。」
クイーンの提案は、わたしが思っていたのとは違った。
でも、ロミオちゃん達がジュリちゃんを追いかけているし、二手に分かれても良いと思った。

「うん・・・」
少し惜しい気がしながらも、わたしはクイーンから身体を離して頷いた。


 

 

 

 

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