Never open doors   その23


9月 2日  凶雲   18:07

place 南階段1F前

 

「用意は良い?」
南階段の陰に隠れて待つ役の4人が音楽室にあった暗幕を手に、一斉に小さく頷いた。

校長犬を閉じ込めようという僕の案は、まさに賭けとしか言えない。
本当だったら、ちゃちゃっと(文字通りに)ケリを着けたいところだけど、まぁ、皆がそうしたくはないみたい
だから、僕は代わりの案を出してみた。

作戦の内容はこうだ。

まず、職員室の両方の入り口を開錠しておき、どちらからも入れるようにする。
僕が北側の入り口を開けて校長犬を廊下におびき出す。
出てきたら、昇降口まで走って時間を稼いでいるうちに、放送室の鍵の在り処を知っている湖那さんが
南側の入り口から中に入り放送室の鍵を解除し、ドアを開けておく。
放送室の入り口が、職員室南側の入り口と、ほぼ向かい合う位置にあるのがこの作戦のポイントだ。

僕は下駄箱をぐるりと迂回するように時間を稼ぎ、職員室の中に戻る。
校長犬が僕を追いかけて職員室に入ったら、階段に隠れている4人は職員室南側の入り口前の廊下に暗幕を
敷き、四隅をしっかり持って準備する。

僕は職員室の中でも少し時間を稼いでから南側の出口から出て、そのまま開け放しの放送室に入る。
追いかけて廊下に出てきた校長犬を、4人がかりで暗幕で包みそのまま放送室に放り込む。
暗幕の中で絡まっている校長犬と擦れ違いで廊下に出て施錠すれば、完璧という算段だ。
校長犬が内鍵を開ける事ができないのは、職員室から出て来られない事で実証されている。

僕は北側の職員室のドアの前でトントンと爪先を軽く慣らしてから、階段の方を振り向く。
4人が小さく頷いたので、僕は目の前のドアを勢いよく開いて職員室へ踏み込んだ。

職員室は沢山の書類からくる紙の匂いと、日が陰っている事で少し籠ったような匂いと、今ここにいるたった
1匹の生物の放つ獣の匂いが感じられた。
目の前には、その匂いの発生源がいなかったので、僕は少し職員室の奥へ足を進める。

そっと忍び足で歩いてるつもりなのに、底の厚いバッシュのゴムが床のタイルを的確に捉えてきゅっきゅと
小気味良い音を立ててしまう。

そんなリズムに誘われたのか、一番奥にある教頭先生の机の陰から『それ』は姿を現した。
灰色のぼさぼさした毛並みは所どころ逆立ち、一見歩くのにすら不適なほどに伸びた長い鈎爪。
話には聞いていたけど、そんな犬の胴体に校長の頭が付いているという、不釣り合いな造形。

到底受け入れ難いその姿に、止めたはずの僕の足が無意識に1歩後退する。
それを見てか、校長犬がゆっくりと1歩を踏み出す。
もし、校長犬が僕よりも速かったら、この作戦は成立しない。
今更ながらそんな事を思い返し、僕は校長犬が付いてくることを確認しながら入口へ引き返す。

廊下に飛び出した僕は、迷うことなく右に向けて走り出す。
ちらりと後ろを振り返れば、走りにくそうな爪を必死に床に突き立てながら走る校長犬の姿。
よし、予定通りだ。

しかし、予想以上に直線での校長犬の足は速く、テラスを通過する前に距離が縮まってくるのを実感する。
追いつかれる前に昇降口へ辿り着いて下駄箱を回ることで、コーナリングの弱い校長犬との距離を稼ぎたい。
そんな事を考えながら全力で、僕は普段走る事を禁止されている廊下を駆け抜ける。

足音以外には音の無い世界をひた走り、何とか昇降口にやって来た僕は一番手前の下駄箱列を右に曲がり
出口の方へ向きを変える。
玄関の外は相変わらず赤黒い雲に覆われ、すっかり日の光も遮られてしまっている。

カカカッと、長い爪が床を掻く音がして、校長犬が下手なコーナリングをしたのだと直感する。
そのまま僕は隣の下駄箱、その隣の下駄箱へと、ジグザグに間を抜ける。
校長犬も追っては来るものの、一番北側の下駄箱を縫う頃にはすっかり引き離していた。

楽勝じゃん。

 

 

そう、思った時だった。

 

 

真正面から、拳大の何かが、僕目掛けて飛んできた。
いち早くそれに気付いた僕は、咄嗟に左にステップを踏んでそれをかわす。
びしゃりと水風船が破裂するような音がさっきまで僕のいた場所で弾けて、鉄の錆びたような匂いがつんと
辺りに拡がり、鼻腔を刺激した。

どこからそれが飛んできたのかは、容易に識別することが出来た。
ちょうど階段の上からは死角になっている僕の正面、蛍光灯の光の届かない陰になっている場所に『それ』が
いるのを、見つけてしまった、のだ。

 

『それ』は、いつからかずっとそこに潜んでいたのだろう。
図書館に誰かが向かうだろうと、考えていたのだろうか。
それとも、階段を下りてきた誰かの背後から、不意を突こうと考えていたのだろうか。
あるいは、その空虚な目には何も見えていないのと同じく、何も考えてはいないのだろうか。

 

身体の右半分は、裸の人間。
左半分は皮膚が無く、筋肉が剥き出しになっている。

そう、僕は、彼を知っている。
何度も、彼を見た事があるからだ。
でも、それはこの場所で、ではなく、動いている姿でもない。
『理科室の黒板の横で佇んでいるだけの彼を見た事がある』というだけの話だ。

「うわぁ!」
びっくりして声が出て、思わず足が止まってしまった!


 

 

 

 

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