Never open doors   その45


9月 2日  凶雲   20:59

side 路美花/優緒/潤里/清良   place 校庭 

 

炎を避けながら、私達は何とか校庭の真ん中あたりまで辿り着いた。
身体が水に浸かっていなかったら、とてもじゃないけどこの熱気の中を歩いて来られなかっただろう。
路美花ちゃんだけは、私や潤里ちゃん、清良さん以上に苦しそうな表情をしているので、そう実感した。
それほどに、ヤマンソが撒き散らした炎は熱く、身体だけでなく心まで焼けてしまいそうな悪意を感じる。

「優緒さん! あそこ!」
後ろに付いて来ている潤里ちゃんが声を上げたので、振り返って指差している方向へ向き直る。

校舎の南端、3階の渡り廊下付近が、

すっかり無くなってしまっていた。

視聴覚室は外壁が無くなって室内が剥き出しになっており、火の手が上がっている。

その下、2階の1年の教室は窓ガラスがすべて吹き飛んでいて、こちらも所どころ黒煙を噴き出している。

これは、全て、ヤマンソの仕業なのだろうか。
破壊の痕跡の凄まじさに、その光景を見上げた全員が、言葉を失ってしまった。
ニャルラトホテプをはじめ、こんな恐ろしい力を持つ化け物が、この世界に何体も存在するなんて。
今まで、どんなオカルトの本でも、ネット情報でも、都市伝説でも味わった事の無い、

恐怖

戦慄

圧倒的な力に晒され、先程の決意が燃え尽きてしまいそうになるのを、頭を振って懸命に抑える。
そんな私達の苦悩に誘われるように、視聴覚室の陰から、それは姿を現した。

この距離からでは、小さな炎の輪っかにしか見えない、それは。
だけど、ゆらりと空中に浮かぶその不自然な輪っかこそが、この凄惨な光景の作者。

『ヤマンソ』なのだ。

「な、なに、あれ・・・」
路美花ちゃんが、その姿を目撃して凍りつく。
「ロミオ! しっかり!」
それに気付いた潤里ちゃんが、懸命に路美花ちゃんを励ましなんとか分別を取り戻させた。

「皆、準備は良いかしら?」
私は、そう声を掛けて両手を横にいる人物に差し出す。
「うん。 追っ払おう、あれを。」
校長・・・先生の携帯電話を持つ右手には、清良さんの左手が。

「ええ。軽手さんと、岩佐さんを助けないと。」
左手には、潤里ちゃんの右手が。

「これ以上ほっといたら、学校が無くなっちゃうよ!」
私の正面には、同様に二人と手を繋ぐ路美花ちゃんが。

「行きましょう! さぁ、意識を集中して、あいつを追い払う事だけ考えて。」
大きく吸い込んだら肺の奥が焼けそうになる熱気を我慢しながら、深呼吸して意識を高めて行く。
私以外の皆は目を閉じ、深く集中しようとしている様子。

校長・・・先生。
あなたが私に携帯電話を託した理由。
それは、そこから出られない事を悟っていたからですね。
私達が脱出するためにかかる時間と、シャンデリアが水没するまでの時間が、ほぼ同じだと・・・
だから、潤里ちゃんに促された時、上るのに時間が掛かるあなたはこうなる事を気付かれぬよう理由をつけ、
私達が安心して先に梯子を使えるよう、送り出した。
そしてシャンデリアが水没すれば当然、電気は漏電し、学校に電気を供給する配電盤のブレーカーが落ちる。

悲しんでいる暇はないのよ。
私は『助けになる』と言われた校長先生の携帯電話を持つ手に力と念を込めながら、
最後の、校長先生の願いを叶える為に、意識を集中する。

 

・・・いなくなれ。

      ・・・いなくなれ。

            ・・・いなくなれ。

                  この世界から、立ち去りなさい、ヤマンソ!

 

「いっせーの、せっ!」
誰かが、掛け声を掛けた。
それに反応して、全員が、一斉に手を強く握り締める!

 

「「「「  いなくなれ!!  」」」」

 

                    ・・・
               ・・・
          ・・・
     ・・・

 

夜の校庭から放たれたそれは、周囲の山に山彦したようにすら思えた。
それは、声の大きさ以上に、全員の心の大きさを表した叫びだったに違いない。
少なくとも私は、めまいがするほど物事に集中したのは初めてだったし、お腹の底から声を振り絞った。
その直後には、両手にあった人の温もりの感触が、するりと私の手から自然と解けていった。

それに驚き見回すと、私同様、皆気力を使い果たしたのか、思い思いの態勢で疲労に耐えている様子。
「やっ・・・たかな?」
清良さんが、校舎の南端を見上げながら、呟いた。

周囲では相変わらず火が燃えており、変わった様子はない。
不安を抱えながら、皆の視線が一点に注がれる。
先程までヤマンソが破壊の限りを尽くしていた、視聴覚室のあたり・・・

どれだけ見つめ続けても、あの炎の輪っかが壁の陰から出てくる事は無かった。
さらに周囲の炎の勢いも徐々に弱まって来て、地面が焼け焦げる匂いと黒煙は夜風に浚われ浄化されて行く。
「やった・・・ん、ですよね?」
路美花ちゃんが膝についていた手を額に当てながら、恐る恐る、誰にともなく尋ねた。

「もう、もう、出て来ない、ですよね?」
苦しげに胸元を押さえながら、潤里ちゃんは元視聴覚室だった場所から顔を逸らせないみたい。
皆の意志の力が、あの途方も無い化け物を宇宙の彼方へと追い返したのだと確信するまでは、誰一人として
その場から動くことが出来なかった。

「出て来ないわね・・・」
わたしの一言で、ようやくみんなの口元から緊張が解かれたのが覗えた。
潤里ちゃんは嬉しさのどさくさに紛れて路美花ちゃんに勢い良く抱き付く。

「湖那は・・・」
潤里ちゃんの行動に一瞬苦笑を浮かべた清良さんは、すぐに真剣な表情を取り戻す。
「あ・・・清良さん、あそこにいるのって!」
体育館の正面、校門のすぐそばに、座っているような人影・・・

腰を押さえながらの清良さんと共に、私は鎮火し始めた校庭を横切りそちらへと向かう。


 

 

 

 

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