Never open doors   その46


9月 2日  凶雲   21:22

   place 校庭 

 

化け物が撒き散らした火が未だくすぶる校庭を優緒ちゃんと走り抜け、辿り着いた体育館前に、湖那はいた。
倒れてしまっている岩佐さんを庇うように覆い被さるような不自然な姿勢で、カメラを掲げたまま。

「湖那・・・ ?」

動かない事を疑問に思いながら、あたしは辿り着く3歩手前で名前を呼んだ。
それでも、彼女は振り向かなかった。

「湖那、どうし・・・ !!」
駆け寄った優緒ちゃんが、校門の方を向きこちらに背を向けた状態の湖那の正面に回り、そこで言葉を止めた。
異変を感じ取り、あたしもすぐに湖那の傍に駆け寄る。

「こ・・・」

呼ぼうとした名前は、呼ぼうとした当人を見た事で、半分しか口にすることが出来なかった。

一点を見詰めたまま、彼女はただ、規則的に瞬きを繰り返していた。
半開きの口元には熱気で乾いたのか、唾液が流れ出た跡が一筋。
頭の上、まるで日除けでもしているかのように翳すカメラのディスプレイには、燃える目の五芒星の画像。

だが、もっとも異様だったのは、湖那の表情。
何を考えている時、人はこんな表情をするのだろうか。
怯懦が溢れた、苦痛に満ちた、戦慄に打ちひしがれた、絶望に突き落とされたようにも見えるし、
悩みから解放された、救いに手を差し伸べられた、そんなような歓びの片鱗すらも窺える。

「湖那・・・ 湖那!」
肩を揺さぶりながら、異常な表情を浮かべた湖那の名を呼び続ける。
しかし、その口からあたしの名が呼び返される事は無く、ずっと校門の上を見詰めたまま。

「湖那さん!」 「軽手さん!」
あたしが名前を叫ぶのが聞こえたのか、江曽と鳳も駆けつけた。
でも、どうしたらいいのか、分からなかった。
「岩佐さん、は・・・大丈夫そうね。」
あたしよりも遥かに冷静な優緒ちゃんが、湖那の下で倒れたままの岩佐さんの無事を確認する。

「湖那さん? どうしちゃったの?」
江曽も、湖那が微動だにしない事に気付き声を掛ける。

 

あぁ・・・

 

あたしのせいだ。

 

あたしが、湖那の危険も顧みず、こんな役目を押し付けてしまったからだ。

 

あたしが・・・

 

あたしがこんな事をさせなければ。

 

「清良さん・・・?」
無意識に、湖那の背中を抱き締め、あたしは震え続けた。
「ごめん・・・ 湖那・・・ あたしが・・・ あたしが・・・」

「ちょっと、久院さんまで・・・ ど、どうしたら・・・」
あたしには見えていなかったけど、すぐ後ろで鳳がそんな声を上げていた。
「電話が・・・使えるようになってるわ。 警察と、消防署に・・・」
「あ、校長は? なんて言ったらいいの?」
「救急車を! 守口先生が重傷だから・・・」

 

湖那・・・

 

ごめんね。

 

 

 

 

 

 

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それからは、もう、いろいろ大変な事になった。

火事は、消防車が来て間もなく消し止められたものの、校舎はそのまま使う事が出来ない程の損傷を受け、
あたし達は隣町の公立高校に編入させられることになった。

警察からは、幾度となく事情聴取を受けたものの、信じてもらえるはずがないと事件の真相を話す事も出来ず、
『夏休み明けの準備のために学校に来ていた所に、謎の爆発事件が起きた』ということで処理され、すぐに
あたし達は不問となった。
頭の固い警察では、この事件を解決する事は出来ないだろう。

岩佐さんに怪我は無かったものの、高校に入学してからの記憶全体が曖昧なのに加え、事件当日の記憶と、
空知 愛奈に関する一切の記憶を失っていた。

校長は、地下室の水抜きに数週間もの時間を要し、発見された時には死因が判別できないような状態だったと
新聞に掲載されていた。
センセーショナルに地方紙の一面で取り上げられた『私立高校で爆発事件 校長は怪死』の見出しも、今では
ずいぶん前の事のような気がしてしまう。

守口先生は奇跡的な強靭さでなんとか一命は取り留めたものの、全治半年で面会謝絶。
ただ・・・面会謝絶なのは肉体的な重傷だけが原因じゃないと、看護師さん達が噂しているのを聞いてしまった。

そう、そんな噂話を立ち聞きしてしまうほど、あたしはこの県中心街の病院に通い詰めている。

 

 

12月 1日  曇り   16:45

 place   N県立T市総合病院

 

「湖那。 もう、今日から12月だよ。」
車椅子を押しながら、あたしは病院の14階にある中庭へと進み出る。
気温は一桁。 適温を保たれている病院の中から何の準備も無しに出たら、震えあがってしまう気温差だ。

「   」
呼びかけても依然返答の無い湖那に、点滴のチューブを除けながら毛布を掛けた。
美容院にも行けずぼさぼさで伸びっ放しの髪を引っ張らないよう、気を付けながら首にマフラーを巻く。

「寒いね、湖那。 今夜は雪が降るかもしれないってよ。」
日没したばかりとはいえ、紫色の空は間もなく夜色に染まる時刻。
それにつれ吹く風も冷たさと湿り気が増してきて、いよいよ降りそうな気配が濃くなって来たと肌が感じる。

「   」
やはり返事は無く、車椅子の振動で小刻みに揺れる湖那の頭頂に、ただ力なくあたしの視線は落ちたまま。
こんな世間話を、あたしはずっと繰り返してきた。
精神に傷を負った人を治すには、親しい人が話し掛けてあげる事が一番の治療になると医師は言っていた。

だから、一向に回復しているようには見えず日毎に痩せ細っていく湖那に、あたしはこうして時間が許す限り、
付き添うと誓ったのだ。
あの事件以来、あたしは少しだけ、両親に歩み寄る事にした。
宗教としては信仰するつもりなんか毛頭ないけど、少しくらいは教会の手伝いをしてもいいと言ったら、両親は
とても喜んでくれた。
そして、その時だけは神の名を出さずに、素直に、親としての笑顔を見せたのだった。

もちろん、そんなのは湖那が回復してからという前提付きだけど。
真上を見上げて、湖那の心が戻ってくる事を、あたしは願う。
何に? 何に願う?

「間もなく面会の時間は終わりですよ。 患者さんを病室へお戻し願います。」
ぼーっとしていたあたしに、看護師さんが声を掛けてきた。
「あ、はい。 ごめんなさい。 ・・・湖那、戻ろっか。」
湖那の横顔に語り掛け、車椅子のグリップに力を込めて小さくその場で反転し、あたし達は院内へと引き返す。

 

 

「じゃぁね、湖那。 また来るよ。」
看護師さんの手を借りてベッドへ戻された湖那の虚ろな顔に、あたしは囁きかけた。
日を浴びる時間が少ないせいか、必要以上に青白い湖那の頬に、そっと指を滑らせる。

どういう訳か、今日は離れたくない気持ちが胸の奥に沸いて来て、あたしを衝き動かした。

「湖那・・・」

そっと、表情の無い湖那に顔を近づけ、
目を閉じ、
唇を重ねた。

心が消えてしまった湖那にこんな事をするなんて、あたしはズルい。
分かってても、あたしはこうした。
ごめんね、湖那。

 

「クイーンさぁーん!」
あたしが病室を出ると、見慣れた3人組が病院の廊下をこちらへ進んできていて、そのうち一番背の高いのが
場所も弁えず頭上で大きく手を振りながら、大声であたしを呼んだ。
「ちょっと、路美花ちゃん! ここは病院よ、大声出さないで。」
二人とは少し距離を置いている一番小さいのが、一段高い声で注意を促す。

「久院さん、すみません、面会時間に間に合いませんでした・・・」
距離が近づかなくてもわかる、よく見知った町医者の娘が、大きいのと腕を組みながら頭を下げた。
「皆、来てたんだ。 間に合わなくて残念だったね。」
コートのポケットから手袋を取り出しながら、あたしは鳳に返答した。
「やっぱり部活終わってからじゃ、ダメでした・・・」
江曽が残念そうに、自由な右手を肩の高さに上げて首を竦める。
「大体、急に行くなんて二人とも計画性が無さ過ぎよ。 湖那に会えないんじゃ、とんだ無駄足じゃない。」
そう毒づきながら、それでも二人についてきたのは、優緒ちゃんも湖那が心配だからだよね。

「しょうがないよ。 またいつでも・・・ そうだ、今週末、皆でまた来よう、ね。」
「久院さん、本当に献身的ですね。 もういい加減、軽手さんが好きだって認めたらいいじゃないですか。」
ニヤニヤ笑いを浮かべながら、鳳がちらりと腕を抱き締めている江曽に視線を送る。
「うるさい。 もしそうでも、あんたたちみたいにのべつ幕なしはしないっての。」
「膜なし? まだありますよ?」
「ろ、路美花ちゃん! そんなこと聞いてないわよ!」

がやがやと、怒られそうなほど賑やかに話しながら、あたし達は今日の病院を後にする。

湖那が心を取り戻したら、あたしは・・・
その時は。きっと。

 

 

好きって言うよ。


 

 

 

 

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窓の外から差し込む月明かりの明るさに、わたしはハッとなった。
白い壁、白い天井、そして、白い布団のベッドに身を横たえた自分・・・
そして、唇を、力の入らない指で、そっとなぞる。
「ク ・・・イーン・・・」

悪い夢を見ていたようだった。
どこまで進んでも、扉。
出る事の出来ない、暗闇。
逃げ惑う事にすら、疲れ果て。

そして、今日、ようやく。

夜闇にひらりと舞い降りた雪の結晶のようにそれはやって来て、扉を、開けてくれたのだ。

私の目から、銀河の彼方の流れ星のように一筋の涙が零れ落ちて、何事も無かったかのように白い枕へと
吸い込まれて消えた。



fin

 

 

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