教員室で書類の提出を済ませ、私たちは生徒会室へ戻ってきた。
会長椅子に深く腰掛けて大きな溜息をついた私の横に、由梨が屈み込む。
「あの、蘭ちゃん。さっきはごめんなさい・・・」
私の腕に手を添え、下から覗き込むように謝るその表情に、一瞬背筋がゾクッと震える。
悲しげに眉をひそめ、まるで自分が酷い目に遭ったかのような面持ちが私の心を昂らせる。
「いいのよ、仕方ないわ。 本当の事ですもの。」
悲哀を湛えたその瞳が、ゆっくりと向けられた瞬間に脊髄を走る甘い痺れ。
大切にしたいはずなのに、困った顔を見せて欲しい・・・
私の言動に翻弄されたときの、縋るような視線がたまらない・・・
添えられた手を退けるように、私は由梨の頭に手を置いて長い髪に手櫛を通す。
この行為を『愛玩する』と表現してはあまりにも勿体無い。
滑らかな髪は、一度も引っかかることなく指の間をすり抜けてゆく。
由梨が、それに微かに目を細めて首をわななかせたのを、私は見逃さなかった。
されたくない人に対する反応ではないわよね・・・
胸の奥に力が入って、呼吸の回数が上がってきている事に今頃になって気づく。
「あの・・・蘭ちゃん。そろそろ下校時刻だよ?」
その声にハッとなって、腕時計を見る為に手を離す。
思った以上に書類書きに時間を奪われていたみたい。
「あ・・・えぇ、そうね。では帰りましょうか。」
私が顔を逸らすと、由梨は小走りに荷物の所へ行き、二人分の荷物を手に戻ってきた。
「はい。どうぞ。」
私の荷物を目の前の机に置いた由梨は、既にいつもの柔らかな笑顔に戻っていた。
「ありがとう。由梨。」
やはり、私はあなたにだけ本当の笑顔を返してあげられる気がする。
あなたは、私をどう見ているの?
由梨が施錠した生徒会室を後に廊下を校門へと向かう。
人気のなくなった夕方の校舎は、昼間こもった熱気が逃げ切らず蒸し暑い。
そういえば・・・
由梨はいつも、私の後ろを歩いている。
特に疑問に思ったことはなかったけど、誰とも擦れ違わないのだから横に並んで歩けばいいのに。
そんなことを考えながら私はチラッと後ろを振り返る。
それに気づいた由梨がパッと目を見開いて、どうしたの?という表情になった。
ふふっ。まぁそんな控え目な所が由梨らしいと言えばらしいわね。
校門を出て駅とは反対方向へ。
少し歩くと辿り着く大通りには、いつも迎えの車が来るようにしてある。
今日は連絡していた予定の時間より少し遅くなったので、待たせてしまっているはず。
生徒会のあった日は、車の所まで由梨も一緒に来てくれる。
駅まで遠くなってしまうのに。
それでも見送ってくれる由梨の気遣いが、私の胸の奥に暖かく染み込んで来る。
でも、その角を曲がれば大通り。
そして、そこでお別れ。
そう思うと、少し、歩幅が縮まってしまう。
だって、そこには迎えの車が・・・あら?
「あれ? 浅川さん・・・だけど、いつもと車が違うね?」
先に口を開いた由梨も異変に気づいていたようだった。