「ねえ・・・ちょっと、蘭ちゃん?」
私の目の前で、見慣れた白い手がひらひらと舞う。
ハッとなって我に返ると、そこは生徒会室。
思わず周囲を見渡すと、左側から私を心配そうに覗き込む由梨がいた。
真っ直ぐ艶やかに流れる漆黒の長い髪、優しくおっとりとした印象の黒目がちな瞳、
小さな鼻に小ぶりな唇、化粧はせず健康的な赤みを湛えた頬。
「どうしたの?ボーっとしてたみたいだけど・・・体調悪いの?」
私を憂慮してハの字に歪められた眉も含めて、全体的に可愛い造りの顔が接近して少し心が弾む。
「あ・・・えぇ、大丈夫よ。白昼夢を見ていたみたい。」
他に誰もいない放課後の生徒会室。
気だるい午後の書類書きのせいで、うっかり魂がお散歩に出てしまったようだ。
「無理しないでね? あとはわたしがやっておくから、帰ってもいいよ?」
由梨の気遣いは嬉しいけど、体調は悪くないし、仕事は終わらせてしまいたい。
「ふふ。あとは教頭に提出するだけだから大丈夫よ。ありがとう。」
小さく微笑みを返して、私は学生に募集した学食の新メニュー案の書類にハンコを押す。
なかなか面白い案が出てきたけど、私好みじゃない。
まぁ別に、私は学食なんて行った事ないから、皆の意見の方が現場に即したものと言えるかもしれない。
私の好みに合わせるとしたら・・・学食の調理師全員から入れ替えなければならなそうだし。
書類を封筒に入れ、会長椅子という名のパイプ椅子から立ち上がった私と由梨は、
除湿の効いた部屋を出て、6月のじめじめした廊下を教員室へと向かう。
「そうだ。ねぇ由梨。今度、どちらかの家で遊ばない?」
1年以上も友達しているのに、まだどちらの家でも遊んだことがなかった事をふと思い出す。
「え?ホントに!?わたし、蘭ちゃんのお家行ってみたいな。」
私の後ろを歩いている由梨の嬉しそうな声が、湿度の高い廊下を鮮やかに通り抜けてゆく。
「えぇ、由梨には是非遊びに来て欲しいわ。」
自然と唇に笑みが浮かんでしまう。
「ありがとう。蘭ちゃんのお家、大きいんでしょ? お金持・・・」
そこでハッとした様に、由梨が言葉を止める。
「えぇ・・・大きいわよ。」
言いかけた由梨の言葉に、少し声のトーンが下がる。
私が嫌うこと。家柄を話題に上げられること。
由梨はそれを知っている。
わざと言ったわけじゃないのは私だって分かってる。
今の会話の流れなら出てきても然るべきことだった。
それでも言わないで欲しいこと。私にはそれがある。
教員室の手前で少し歩くペースを上げた私の横から、由梨が慌てたように頭を下げる。
「あ・・・あの、ごめんなさい・・・その・・・」
その言葉は私が強めに扉をノックする音でかき消され、あまり聞き取れなかった。
「生徒会です。失礼します。」
教員室のドアは、いつもより少し重く感じた。