あたしの背中に向けて、駆け寄る足音。
タッタッタッタッタッタッタタン!
・・・
そして、高く掲げていたバッグの持ち手の紐を、上からグイッと押される感覚。
見上げていた樹上の風船に向かってピンクの人影が手を伸ばしながらスローモーションで上昇していくのが、
まるで映画のワンシーンのように、今あたしの目に鮮烈に映っている。
え・・・あれ、みっひー・・・だよね?
しかし、あとわずかというところで、風船の糸に伸ばされた指先は空を切ってしまった。
「くっ・・・!!」
その体勢から、みっひーは大きく仰け反ると、天へ向けて脚を蹴り上げて枝にサマーソルトキックを放った。
パキキッ!
生木が折れる湿った破裂音がして、少し姿勢を崩したみっひーが着地する。
枝に絡まったままの風船が何食わぬ顔で、ゆるりとみっひーを追いかけながら地面に落ちた。
みっひーのぱんつ、白だった・・・
ふぅと小さく息を吐いてから、みっひーは拾い上げた風船を手に、再び子供の前に屈みこむ。
「ほら。もう泣くな。そして・・・大切ならもう手放さないようにな。」
絡まっていた糸を解いて渡された風船は、本来の持ち主に微笑みかけるように風に揺られている。
「うん・・・ありがとう、お姉ちゃん。」
少しあっけにとられていたけど、子供はそう言うとギュッと紐を握りしめ、両親の顔を見上げた。
「あ・・・すみません、ありがとうございました。」
「うちの子がご迷惑をお掛けしました。」
子供よりも、もっとあっけにとられていた両親が子供の表情に気づき慌ててみっひーに頭を下げる。
「いや、いい。気にするな。」
誰に対しても変わらない口調と表情でそう別れを告げると、みっひーはようやくあたしの横に帰って来た。
「おかえり・・・みっひー、あたし、びっくりしたよー。」
傍観者ではなく、関係者としての立場からだからあまり実感が湧かないけど、たぶんこういう事だろう。
あたしが持っていたバッグを足場にして、みっひーはあの高さまでジャンプしたんだ。
最初のジャンプで、あたしの頭の高さを遥かに超えたバッグの位置まで跳んだうえで。
「すまない、萌南。 先に説明したら、怖くて手伝ってもらえなくなるんじゃないかと思った。」
あれ・・・?
みっひーの表情が、ちょっと変わったってゆーか・・・なんか・・・困ってるのかな?
「んーん。全然いーよ。」
咄嗟に作った笑顔を顔に貼り付けて、あたしは胸の前で手を振りバッグをみっひーに返した。
「萌南、私を・・・恐れたか?」
唐突な質問を受けて見つめたみっひーの表情は困惑を湛え、ともすれば泣き出しそうにも見えた。
「え・・・?」
木立を揺らす風が、手を伸ばせば抱き締められるほどの距離しか離れていない二人の間を吹き抜けた。
「今の私の行動を・・・萌南は、怖いと思ったか?」
あたしが聞き返した事に、もう一度同じ問いを重ねたみっひーの眉は角度を失い、自分でもどうしたらいいのか
判らないと言わんばかりに忙しなくちらちらと動く瞳が、あたしを急き立てる。
「え、と・・・怖いなんて思わないよ。ちょっとびっくりしただけで・・・」
でも。
みっひーが距離を一歩縮めようと踏み出してきたのに対し、無意識にあたしの脚が一歩後ろへ下がっていた事に気付いたのか、それ以上は足を進めず、みっひーはただ呆然とあたしを見つめ返した。
「萌南・・・いや、いいんだ。 分かっていたことだ。」
悲しげな微笑みを浮かべてあたしから2歩距離をとると、みっひーは来た道を引き返そうと踵を返した。
「ちょっと、みっひー、待ってよ!」
ダメ・・・!
こんな変な誤解を抱えたまま帰られたら、もうみっひーとは会えなくなっちゃう気がする!
気になるとか好きとか関係なく、こんな別れ方は絶対しちゃいけない!
呼び止めても止まらない後ろ姿に、あたしは飛び込んだ。
ぶつかるほどの勢いで抱き付いたのにびくともしないその背中は、なんだか少し小さく見えた。
「あたし、嘘なんてついてない。 教えて欲しいよ、みっひーに以前何があったのか。」
尻尾が揺れる後頭部に向かって、吐き出すように想いを伝える。
「萌南・・・私は・・・」
「あたしじゃ、信じてもらえないかな?」
届け、届け、あたしの想い・・・!
飛び込んだ拍子に腰に回した腕に、思わず力を込めてしまう。
「・・・わかった。 ちょうど人がいない、あの辺りに座ろうか。」
みっひーが指差した先は、日差しも明るい芝生の上。
あたしの手にそっと重なった手の優しさに、また鼓動が一つ、トクンと高鳴った。