フォークに乗ったミルクレープの断片が、ふっくらピンクの唇の間にゆっくり吸い込まれていく。
そこから引き出されたのは銀色のフォークだけで、複雑に形を変えて咀嚼する唇が・・・
唇が・・・
ドキドキと鼓動が高まってきて、そこだけに私の意識が集中する。
周囲の喧騒すらも私の耳には入らなくなって、視界がピンク色に染まっていく・・・
と、見つめていた唇の間からちろりと舌が現れて、口角に付いたクリームを舐め取った。
呼吸が、止まったような気がした。
なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、頭がくらくらしてくる。
「・・・ぱい? 氷音先輩?」
「は、はい!?」
雑音の隙間を縫ってハッキリと聞こえてきた声に、突如現実へと引き戻される。
もう唇だけを見てるわけにも行かなくて、定まらない視点がぐるぐると渦巻く。
「先輩も一口食べる?」
小首を傾げてから、高波さんは適度な大きさにミルクレープを上手に切り分ける。
「え、わ、私は・・・いいから、高波さん食べて?」
遠慮する私に、傾げた小首が大首になる。
「えぇ?なんや、氷音先輩ずぅっと見てたから食べたいんかなぁ思たのに。」
高波さんはくるくるとフォークを弄びながらミルクティーのストローを吸う。
あぁぁぁ・・・気付かれてたっ!
先程、と言うにはあまりにも近すぎる図書館での悪夢が蘇る。
ここまで来ると、高波さんは頭の横や後ろにも目が付いているのではないかとすら思えてくる。
「お!せや! にひひ〜!」
小悪魔の閃きに、大悪魔のニヤニヤ笑み。
高波さんは切り分けたミルクレープをフォークに乗せ、私の前に突き出す。
「はい。氷音先輩。あーん。」
上目遣いで斜め上に差し出されたそれに、思い切り動揺してしまう。
「た、高波さん、そんな・・・」
フォークを持つ親指の爪が、つやつやと電球の明かりを反射して私に選択を迫る。
「えぇから、ほーら。ぱくっと行きやー、ぱくっと。」
「た、高波さん、恥ずかしいから・・・」
つい、左側の窓の外や、右側で背を向けて座っている他人が気になってしまう。
見てないと分かっているのに、そんな気持ちが私の奥襟を掴む。
「あー、手ぇ疲れてきたぁ。氷音先輩、早くぅ・・・」
その言葉の通り、ぷるぷるとフォークが小さく震えだす。
高波さんの表情が苦しそうになってきたのに気付き、思わずフォークに食らいついた。
食べたいという訳ではなく、高波さんのそんな表情が見たくなかったから。
口の中に、幾重にも重なった生地とクリームの甘さが解けて行く。
モムモムと口を動かす私に、高波さんは満足そうな笑顔を取り戻して次の一口を頬張る。
その笑顔と、クリームの甘さと、自分の行動の気恥ずかしさを、私は慌ててコーヒーの苦味で流し込んだ。
「なぁ、氷音先輩。 あのな、そろそろウチの事、名前で呼んで欲しいねんけど・・・」
座る向きを改めて私に向き直った高波さんが、真剣に私を見つめる。
「え・・・?」
気にした事もなかった。
委員会で初めて会った時から高波さんは高波さんで、それは何の不思議も無く当たり前だった。
「やって、ウチはずっと氷音先輩のこと氷音先輩って呼んでるし、それに・・・恋人同士なんやから、
やっぱり名前で・・・呼んで欲しいやんか。」
そう・・・だったのね。
真剣な高波さんの想いに応えたいし、名前で呼び合うのはきっと今よりも仲良くなれるはず。
ならばと私は、小さく呼吸を整えて高波さんを見つめ返す。
「う、うん、じゃぁ、呼ぶわね・・・」
すぅ・・・
「り、理美にゃん。」
・・・・・・・・・。
か、噛んだ!!! orz
うわあああぁぁぁ! 私のバカっ!!
こんな大事な場面で噛むなんて!
あぁもう、テーブルをひっくり返して暴れ回りたい!
むしろ、私がひっくり返って床を転げまわった挙句、テーブルに頭ぶつけちゃえばいいのよ!
愕然とした私はしかし実際には、身動き一つとることができなかった。