「うっ・・・く く く く・・・」
真っ黒な思考で埋め尽くされた私の脳に、顔を伏せて必死で笑いを堪えているの高波さんの声が聞こえた。
笑われてる・・・
そりゃそうよね。さっき決意したばかりの事を、そう簡単に出来る訳がないもの。
「ふっ、あっはははははは!」
鼻から空気を噴き出し、ついには声を上げて笑い始めた向日葵の顔が、今は私の暗い気分に拍車を掛ける。
あぁ・・・サイアク・・・
「あー、あかん。 氷音先輩めっちゃウケるわー。 なんぼなんでも、それはウチも予想外やったわー。」
えぇ、安心して。予想外だったのは高波さんだけじゃないから。
これだけ言われてしまい、私はただ肩を落として固まる。
「でも嬉しいわぁ、氷音先輩にそんな風に呼ばれて。」
お腹を押さえたまま、ひとしきり笑った高波さんはミルクティーの最後の一口をズズズとストローで吸い込む。
「ち、違、今のは・・・」
まさかそれが定着してしまうのでは、そしてそんな声にするだけで恥ずかしい呼び方で呼び続けなければ
ならなくなってしまうのではないかという不安が湧き上がり、私は弁解しようとするもチラリと目を合わせて
すぐにまたテーブルの茶色で視界が埋まる。
「あはは。分かってるて。図書館でウチが言わせたのんに被せたんやろ? あー、もー、サイコーや。」
目の端を軽く押さえた高波さんに、なんだか釈然としない気持ちが湧き上がるけど、とりあえずみっともない
噛み方をしたとは思われていない事を理解し、少し救われた気がした。
「氷音先輩、実は侮られへんギャグセンスの持ち主や〜。これから油断できひんなぁ。」
氷だけになったグラスをわしゃわしゃとかき回しながら、何に対してか高波さんは対抗心を燃やすように
私をニヤリと見上げた。
「そんなんじゃ・・・ないわ。」
その挑戦的な目を一瞬だけ受け止めて、戦う気は無いことを示す為に冷め始めたコーヒーを一口含む。
「ふふ。まぁ、せやなかっても、氷音先輩て普段あんま喋らんけど、ウチと一緒におる時はいつもより
喋ってくれるやんか?それが嬉しいねん。」
「そんな、私は全然・・・」
私は、高波さんと一緒の時でも全然喋ってないのに。
高波さんのフォローは、いつも温かい。
いつも自分勝手に振舞っているように見えるのに、本当は気が利く子。
そんな高波さんが好き。 ・・・って、言えたら良いのに。
「んーん。自分では気付いてへんやろけど、ウチと二人だけの時はえらい優しい顔してんねんで?」
そんなの、好きな人と一緒に居るんだから当たり前じゃない。
この想いの前後にカギカッコを付けられたら、どれだけ高波さんは喜んでくれるかしら。
解っててもできない。そんな自分に嫌気が差す。
「ウチは、普段クールな氷音先輩も、ウチだけの優しい氷音先輩も、どっちも好きや。大好きや。」
言ってから、照れたように向日葵は頬を赤く染める。
そして私は気が付いた。
高波さんが、喋っている間ずっと両手で氷だけになったグラスを握り締めていたことに。
「た・・・理美ちゃん。」
私が呼んだ名前に、ハッとなって見つめ返す瞳は少し細められて優しい微笑みに溶けていく。
「ふふ。やっと、ちゃんと呼んでくれた。嬉しい。」
私を慰めるために、たくさん照れ臭くなるような事を言わせてごめんなさい。
そんな気持ちを込めて、私はすっかり冷たくなった理美ちゃんの両手をとり、自分の両手を重ねる。
一瞬だけ、高波さんはその手を見つめてすぐに微笑んだ。
そして潤む瞳で私を見上げ、ゆっくりとその目を閉じる・・・
・・・!?
え、ウソ、まさかこんな所で!?
直ちに空気を察した私は、慌てて左右へ首を巡らせる。
トレーを持ったまま席を探す人が、こちらを見ている気がする。
窓の外を行き過ぎる人が、広告や看板ではなくこちらを見ている気がする。
「だ、ダメよ、高波さん、こんな所で・・・」
素直に出た言葉に、高波さんはパッと目を開けると鋭く私を睨みつけた。
「あぁぁぁ!氷音先輩!! 高波さん、に戻ってる!!」
イヤイヤをするように高波さんは大きく頭を振ると、重ねられた私の手からするりと抜け出し、足元に置いた
鞄を手に立ち上がった。
「あ、ちょ・・・」
そのまま出口へと向かう高波さんを追いかける為、私は急いで皿やコップをトレーに載せ返却口に乱暴に置く。
ちょっと背を向けた隙に高波さんが店を出て駅とは反対方向へ駆けて行ったのを、私は振り返りざまに
辛うじて確認することが出来た。