Never open doors   その8


9月 2日  曇り   14:25

「ほら、ここ。見てよ。」
湖那が指差した先は、一番端の学校の外壁の一番下。
「そこが?」
いつの間にガムを口に入れたのか、清良さんがもぐもぐしながら相槌を打つ。

少し間を作ってニヤリと口元を持ち上げた湖那は、指差した部分をガツンと爪先で蹴りつけた。
すると、蹴られた外壁のパネル部分が衝撃で外側に倒れ、丁度私達なら通れそうな穴が口を開ける事となった。
「ね?」
清良さんにちらりと微笑んだ湖那は、少し窮屈そうに身を屈めて学校の中へと入っていく。
「へぇ。 これは素敵な場所をご存じだこと。」
続いて、同様にしゃがみ歩きで清良さんが入っていく。

「優緒さん、本当に・・・入って大丈夫?」
路美花ちゃんの後ろで眉を顰めた表情を続ける潤里ちゃんが、不安そうな声を上げる。
「大丈夫でしょう。 私達が通ってる学校なんだから。」
しかし、5人の中で一番身長が低い私でも何とか通れそうなくらいの大きさだから、ちょっと心配な事がある。

「路美花ちゃん、入れるかしら?」
「僕? うん、ここからは入れないけど、たぶん上から入れるよ。」
どういう事かと問い質す間もなく、少し距離を取って路美花ちゃんが助走をつける。
スニーカーが固い土を素早く踏みつける音が続いた次の瞬間!
私達の横を駆け抜け急斜面を2歩駆け上り、三角跳びの要領で塀の上に手をつくと、見事なトンボを切り
路美花ちゃんはその内側へトスンと音を立てて着地した。
うわぁという湖那の悲鳴は、たぶん予期せぬ上方向から路美花ちゃんが降ってきた事への驚きだろう。

「すごい・・・」
改めて、路美花ちゃんの運動神経の良さにあっけにとられる『こちら側』の私と潤里ちゃん。
「さ、路美花ちゃんも入ったんだし、潤里ちゃんも入って。」
「え、でも、やっぱりわたくしは・・・」
この期に及んで潤里ちゃんが怖気づいたことに、思わず溜息が零れる。
「潤里ちゃん、今から一人で引き返すつもり? それなら別に・・・」
構わないからと言いかけたその時、私達が入ってきた方の木々の向こうを動く人影に私は気が付いた。

「潤里ちゃん、早く! 守口先生が来てる!」
「え、え、えぇっ!?」
背を向けていて状況を把握できていない潤里ちゃんを、私は手招きして急き立てる。
やはり、先程の路美花ちゃんの声が聞こえてしまったのだろう。

「やっ! ちょ、優緒さん、押さないで!」
私が急がせるものだから地面に膝をついてしまい、四つん這いの態勢で穴に入っていく潤里ちゃんのお尻を
少しでも急がせる為に両手で押し込む。

早くしてよ! 守口先生がこっちに気付いちゃうから!
潤里ちゃんの脚が中へ入りきるのを待つのももどかしい。
どうしてこんなにのろまなのかと、思わず毒づいてしまいそうになるのを懸命に堪える。

「おい! そこで何をしている!」
聞きたくなかった太い声が、木々の間を縫って確実に私を捕えた。
ハッとなって振り向くと、まだ距離があるもののはっきりと声の主は特定することが出来た。
4人の後を追う為か、その声から逃げる為か、私は塀の内側へと入っていく2本の脚を待ちきれずに屈む。
「おい、やめろ! 今日は学校へ入っちゃいかん!」
私達を見咎めた人影は、声を荒げてそう叫んだ。

そして、私は見た。

-------その人物の、尋常ならざる表情を。

『生徒が制止を振り切って学校に入っていく。』
『ただそれだけ』で、先生は、人は、あんな表情をするだろうか。

そこには、怒りは微塵も感じられなかった。
その代わり、浮かんでいたのは、畏怖、慄然、焦燥。

鬼気迫る勢いから逃げるように、私は勢い良く穴の内側へと身を躍らせる。
踊らせたつもりが、思った以上に穴は狭く、足を掴まれるのではないかという恐怖から何度か外壁に身体を
打ちつけてしまう。

「戻って来い! 頼む! やめるんだ!!」
主が見えなくなってしまったその声が、きっと塀を越えて4人にも聞こえているのだろう。
私の必死な表情と、聞こえる野太い声に、皆が私と壁を交互に見比べている。

「はぁ、はぁ・・・はぁ・・・」
1メートルにも満たない距離の移動が、こんなにも長く感じたのは初めてだった。
立ち上がって、皆の顔を見まわすと、少し気持ちが落ち着く。
「優緒さん・・・大丈夫?」
潤里ちゃんが、自身の膝の汚れよりも先に私を心配してくれた事がちょっとだけ嬉しかった。
「うん、ありがと。」

そんな皆が見つめる先である穴の向こうからは、不思議な事に先生が覗き込むことはおろか、声すらも全く
聞こえなくなってしまった。
もちろん、穴の向こうを覗き返す勇気なんて誰も持ち合わせてはいない。

「あーあ。 先生に気付かれちゃったねー。」
そもそもの元凶であるはずの路美花ちゃんが相変わらずのんきな声で、そう状況を説明した。

少し落ち着き、私は周囲を見回す。
当然の事だけど、そこには見慣れたいつもの学校のいつもの景色。
目の前には創立以来使われ続けているゴミ焼却設備、右手方向は体育館と外壁の間が自転車置き場なのだが
もちろん今日は一台も自転車は見当たらない。

いつも通りの学校の風景がそこにあることに、なぜかちょっとだけほっとしている事に、私は気付いた。




 

 

 

 

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