Never open doors   その20


9月 2日  凶雲   17:38

side 湖那/清良   place 職員室

 

電気の点いていない薄暗い職員室に入ると同時に、わたしは無意識に壁際のスイッチを押した。
今思えばそれは、日常で当たり前な事を、当たり前にしただけのはずだった。
しかしそのせいで、当たり前な事を当たり前にするべきではないという事を、思い知らされる事となった。

職員室の中を見まわすまでも無く、わたしは『その生物』と目が合った。
守口先生の机のすぐ横に『それ』はいたからだ。

『生物』は、およそ大型犬か狼といった見た目だった。

その、頭部を除いては。----------

残念な事に、イヌ科の体を持った生物の頭部には、

 

人間の頭が付いていた。

 

『それ』と、わたしは、全てのスイッチを点けたにも拘らず薄明るい程度の職員室の中で

 

目が合ってしまったのだ。

 

 

ぞわりと、背筋を悪寒が走り抜けた。
しかもその顔は、見れば見るほど、容易に記憶から探り出すことのできる人物のものに見えた。
即ち、三須加高等学校の、現校長の、顔。

「きゃああ!」

意識とは無関係に、私の喉奥から上って来た悲鳴が口から迸る。
『生物』の物理的な造形よりも、知っている人間の顔をしていたという事が、わたしを恐怖に駆り立てた。

そして、それを合図として受け取ったかのように、その生物は鋭い爪を具えた四本の脚で踏み出した。
校長の顔は、普段の好々爺然とした風情からは想像もできないような憤怒の相を浮かべており、わたしに対し
明らかな敵意を剥き出しにしている。

「湖那!」
ほんの数秒ののち、わたしの声を聞いたクイーンが職員室のドアの所にやってきた。
ハッとなって意識が逸れた事で、わたしは職員室から飛び出し、急ぎドアを閉めた。
「ちょ・・・?」
クイーンが呼びかけようとするのも無視し、必死におぼつかない手で鍵穴に鍵を差し込み左に回す。

かちり、と錠が掛かった音がした直後、ドアを内側からガリガリと何度もひっかく音が鳴り響く。
「湖那、どうしたの?」
「クイーン・・・」
不気味な『生物』がいたのが怖かったけど、クイーンに抱き付けば安心できる。-------
一瞬過った自分へのそんな甘えを捨てて、わたしは中で起きた事を冷静にクイーンに説明する。

校門での一件以来、クイーンも平常ならざる現実を覚悟したのか、異形の生物がいる事を疑いはしなかった。
扉を鈎爪でひっかく音がしている現状も、わたしの話の信憑性を証明するには充分だからだろう。
「これじゃ、職員室に入れないよ・・・」
自分が吐いた言葉は、相談ではなく、弱音、なのだろうか。
折角辿り着いた手掛かりを塞がれた程度でそんなふうに言ったなんて、認めたくは無かった。

「湖那。 湖那らしくないよ。」
だから、クイーンにそう言われて、ちょっと嬉しかった。
ちょっと、強くなれる。
そんな、気がした。

「そう、だね・・・ ごめん。ありがと。」
「んーん。 気にしないで。 で、どうするかな。」
爽やかな笑みを浮かべたクイーンはすぐに真剣な表情になり、未知の敵への対策を考え始める。

薄暗い無人のテラスのテーブルに移動して、二人で話し合った結果はこうだ。

出入り口が2か所あるという職員室の構造上、事前に両方の鍵を開けておいて廊下におびき出し、もう片方の
入口から入って鍵を掛ければ簡単に『あの生物』を外に出して職員室を占拠することは出来る。
しかし、そうすると『あの生物』は野放しとなり、校内に残る1年生組やもしかしたら図書委員にも危険が
及ぶかもしれない事を考えると、選択肢には入らなかった。

網や籠の様なもので捕獲する方法も考えたが、どれほどの力を持っているか分からない生物に対してはリスクが
大きすぎるだろうし、校内にあるもので賄えるかもわからない。
どうしたらいいものかと袋小路に入った時、ふと、クイーンがこんな言葉を漏らした。

「その校長みたいな顔の犬ってさ、まさか、校長本人じゃ、ないよね?」
クイーンの飛躍しすぎた考えは、普段なら何言ってるので済んだかもしれない。
しかし今は、何が起きてもおかしくないのだから、可能性として頭から否定できないのだと自らを戒める。

「有り、得る、ね・・・」
できればそんな思考には、辿り着きたくなかった。
「うん、岩佐さんが校長と留学の話するって言ってたじゃん。 だから校長もあたし達より先に学校にいて、
何かに巻き込まれてあんな姿にされちゃったとか・・・」
そこまで言葉を続けたクイーンが、ハッとなってわたしを見つめる。

「ごめん、実物も見てないくせにこんな事言って。 マンガじゃあるまいし、ね?」
「んーん。 でも、もしそうだとしたら、実力行使も避けないといけないって事でもあるからね。」

二人同時に溜息をついたのを階段の方から見つめている人影がある事に、わたし達は未だ気付いてなかった。


 

 

 

 

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