Never open doors   その35


9月 2日  凶雲   19:21

side 湖那   place 職員室

 

校長室に入って来たのは、この部屋の主である仁志本校長だった。
いつもと変わりないスーツ姿で表情もいつも通り。
表情・・・それを気にしたのは先ほど閉じ込めたあの犬を思い出したから。
一目見ただけで後退りしそうな、あの怒りの相は見受けられず、何故かほんの少し安心した事に驚く。

安心・・・?
無意識に、奥歯と唇に力が入る。
違う。
安心なんかしてる場合じゃない。
守口先生の手帳に書いてあった事を、本人に問い質す又とないチャンスなのだから。

ほんの5センチだけ覗く為に開けていた扉を、力を籠めて一気に押し開く!

 

 

 

??

腕に力が入らない。
異変に気づき、わたしは自分の右腕へと視線を移す。
そこには。

一本の黒い紐が絡みついていた。
材質は黒革のように見えるけど、もっとつやつやとぬめ光る様な、どこかで見たものに似ている気がする。

残念な事に、わたしはそれを瞬時に思いついてしまい、ハッとなる。
校門の化け物の体表を覆う、鱗。
あの有機的な質感に良く似ている、と、そう感じた事で、本能が拒否反応を起こした。

解こうと左手で掴みむしるも、黒紐はより強く腕に食い込んでくる。
痛みに耐えかねそうになりながら、紐がどこから伸びてきているのかを確かめる為、わたしはそれを辿って
後ろを振り向いた。

そこにいたのは、空知 愛那。
相変わらず唇だけで微笑みながら、長い前髪の向こうから、彼女はわたしを見つめていた。
私の腕へ伸びる紐のもう片方は、彼女が胸の前で組んでいる腕の中に続いている。

「覗き見とは、趣味が良くないわね。 パパラッチさん。」
「空知さん、いつの間に・・・」
「あなたが私に気付かずそこから出て来たものだから、警備員の代わりに捕まえただけよ。」
あくまでも優しい語り口のまま、空知さんは2歩だけこちらに近づいてきた。

「空知さん、校長と組んで、何をしようとしているの?」
わたしの質問に、空知さんは僅かに眉を動かした。
これは推論に過ぎなかったけど、カマカケはどうやら正しかったようだ。

どうやら今校長室に入って来た校長が『留学』の首謀者だという事は間違いなさそうだし、同じタイミングで
『岩佐さんを連れずに』ここに空知さんがいるという事も関連しているはず、つまり共犯・・・?
そもそも『留学生』は岩佐さん一人なのに、付き添いが必要かという所から疑うべきだったのだと、わたしは
今更ながらにして気が付いた事に後悔する。

「インタビューは受け付けないわよ。」
ぎりり、と私の右腕が血圧でも計られている時のように締め付けられる。

「誰だ!」
わたしが開けていた隙間から声が聞こえていたのだろう、校長がそれを聞きつけて扉を開け姿を現した。
思わず振り返り、二人に挟まれる形となったわたしは下唇を噛み締める。

しかし、ピンチはチャンス。
空知さんに断られた質問の受け入れ先が現れたと思えばこそ、わたしは口を開く事が出来た。

「校長先生、もうやめて下さい。 こんな事をしても学校の為になりませんよ!」
わたしは落ち着いて、校長にカマを掛ける。
これは守口先生の言葉であり、裏を取れていない今、切り返されたら言葉に詰まってしまうかもしれない。
それでも、この局面では何とか乗り切っていくしかないという覚悟が、冷静さをもたらしてくれる。

「なるとも。 なるからやっているのだよ。」
自分のしている事を頭から否定されたせいか、校長の口調は朝礼の時のような穏やかさが感じられない。
とはいえ校長が会話の通じる相手であることに、わたしは感謝せずにはいられなかった。

「校長先生は、本当は学校を護りたいんですよね? だからこんな事をしてまで・・・」
「違う! 私は、この我が校と、教師と、生徒の発展を願っているのだ! 護る必要などない! だからこそ、
優秀な生徒を犠牲にしてでも、それが未来へと繋がるなら必要な事なのだ!」

食いついた!!
わたしの出任せの言葉に流され、ついに校長の口から動機が語られた。
『留学』とは、優秀な生徒を『犠牲』にし、学校を発展させる為のもの、らしい。
さっきのおまじないのような物があった以上『犠牲』とは文字通りの意味なのかも知れない。
呪術的な『何か』で効果を上げられるなんて、本気で思っているのだろうか。

「校長先生! 目を覚まして下さい! そんなことをして学校が発展するわけないじゃないですか!
神頼みで掴んだ繁栄なんて、まやかしです! 先生と、生徒と、皆で頑張るからこそ尊いんじゃ・・・」
「うるさい! 君ごときに何がわかる!」
ドスンと、校長の拳がわたしの腹部にめり込んだ。
喉の奥から空気の塊が押し出されて、声にならない声が零れ落ちた。
幸い、60歳近い拳に大した威力は無く、わたしには不用意に挑発を進めるのは危険だという警告の代価を
支払わされたぐらいに感じられた。

「仁志本、校内暴力はいけないんじゃない?」
「くっ・・・ 彼女は、知ってしまったのです。 我が校の発展に、彼女は邪魔となります。」
仁志本・・・?
空知さんが校長を呼び捨てにした事で、空知さんの方が立場が上であるという事が突然判り、些か混乱する。
片や校長は空知さんに丁寧語・・・ どういうこと?

「『這い寄る混沌』様、彼女も共に『あのお方』の元に送ってしまってはいかがでしょうか。」
「仁志本。 『アレ』をゴミ処理場だと思ってるんじゃないでしょうね? こんなつまらない物をよこして
『アレ』の機嫌を損ねたら、どうなるか知っているはずよ。」

『這い寄る混沌』・・・
そう呼ばれた空知さんは校長を諌める言葉とは裏腹に、口角をわずかに持ち上げたまま視線をわたしに移す。
「そうね。確か他にもゴミ共が紛れ込んでたみたいだし、丁度いいからまとめて始末させてあげる。 仁志本、
こいつを地下室に連れて行きなさい。」
「畏まりました。 しかし、暴れられては敵いません。どうすれば・・・」

校長の弱気な了承に苛立ったのか、空知さんは小さく舌打ちすると不意にこちらに歩み寄って来た。
鼻がぶつかりそうな距離で、不思議な甘い香りを纏った彼女は、わたしの目を至近距離から覗き込む。
前髪を掻きわけて露わになった空知さんの両目が、わたしには一瞬光ったように感じられた。

「これでお前の言う事を聞くだろう、私はあいつらを・・・」
それを最後に、わたしの意識は広大な海に投げ出されたように、深く、深く、沈んで行ってしまった。


 

 

 

 

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