Never open doors   その38


9月 2日  凶雲   20:19

   place 地下室

 

(空間を繋ぐ? 『門』を、創る・・・呪文!?)
校長が口にした単語に、私の耳が反応した。
空間を繋ぐ事が出来るなんて、本当なのかしら。
・・・いえ、わざわざ疑うこと自体が無意味だと私は今日、身を以て解っている。
それでもなお疑わずにはいられないくらい、余りにも信じ難い事を校長は言ったのだ。

「ひ、と、り・・・?」
潤里ちゃんが呟いた。
すぐ後ろにいた私だから聞き取れた程度の、流れ込んでくる水の音に掻き消されそうな小さな声で。
「ひとりだけ、ここから・・・」
潤里ちゃんが何を考え始めたのか、私にはすぐに察する事が出来た。

「校長。 なら、あなたが行って、岩佐さんを連れ戻すのが責任ってものじゃないですか?」
清良さんがこちらの様子に気付くことも無いまま、校長に詰め寄る。
「ほう、君はなかなか道理を弁えているようだな。 その選択が君達の死に直結すると判っていてもかね?」
そう言われて、迷いの生じた清良さんは口を噤んでしまった。
「その選択が君達にとって正しくない理由を教えてあげよう。 私はあいつに右腕と右脚を折られてしまった。
ここから脱出し、岩佐君を取り返したとして、君達を助けに戻る事は出来ない。」
「待って下さい! わたくしが、わたくしが行きます!」
突然、先程の呟きとは逆に水音すら掻き消すほどの声量で、潤里ちゃんが待ったを掛けた。

「ジュリちゃん・・・ なにか、作戦でも思いついたの?」
湖那が、名乗り出た潤里ちゃんに尋ねる。
「え、いえ、そういう訳じゃないですけど、校長先生が行けないなら、誰かが行くしかないって思って・・・」
「鳳、悪いけど、あたしの中ではもう岩佐さんを助けに行くのが誰か、決まってるんだよね。」
突っ込まれてしどろもどろになる潤里ちゃんを尻目に、清良さんが厳しい表情で意見を述べた。

「久院さん・・・ 誰なんですか、納得できる説明をして下さい。」
焦りと苛立ちを隠せない潤里ちゃんを落ち着かせる為か、清良さんは突っかかる潤里ちゃんの両肩を抑えて
言い聞かせるよう間を置き、その名を告げた。
「行くのは、湖那だよ。」
「え、あ、あたし?」
何の前触れも無く指名された湖那が、脛まで水に浸かりながら自分を指差す。
「な、何でですか!? そんなの、久院さんが軽手さんを好きだからじゃないんですか!?」
感情が噴出したのか、潤里ちゃんが上げた大声は今にも泣き出しそうに震えていた。
「それは・・・今は関係無いでしょ! ちゃんと、理由があるの。」
潤里ちゃんの指摘に一瞬動揺したのか、肩を抑える手を離して清良さんは校長の方へ向き直る。

「湖那は、校長先生の事も、守口先生の事も、この事件の事もいっぱい調べたから、多分あたし達の中では一番
この事件の事を分かってる。 それに、なんだっけ、湖那がさっき言ってたナントカって言う対抗手段?」
「『セラエノ断章』の、事?」
ちらりと湖那に目配せしてキーワードを引き出し、清良さんは言葉を続ける。
「そう、それ。 今も持ってる?」
「実物は校長先生の引き出しに戻して来たけど、画像なら・・・」
期待を込めた眼差しを受けた湖那は、大きく頷いてカメラを差し出す。
「何!? あるのか!」
それに反応した校長が、突然項垂れていた頭を持ち上げて声を張り上げた。

「は、はい、すみません、勝手に撮ったりして・・・」
「いや、いい。 それより、そこに『クトゥグアの招来』と銘打ったページは記録されているかね?」
痛むのか、苦悶の表情を浮かべながら左脚だけで立ち上がった校長が、湖那に詰め寄った。
湖那はそのあまりの勢いに押されたのか、慌ててカメラのボタンを操作していく。

「えと・・・あ、これ、ですか?」
記録した画像をディスプレイに映しだした湖那が校長にそれを見せる。
「おぉ・・・間違いない! これがあるなら・・・」

「優緒さん・・・」
と、その時、潤里ちゃんがその輪から外れて私の方にやって来た。
「ん?」
私が訝しむより速く、潤里ちゃんは私にそっと抱き付いた。
「わたくし達は、もう、助からないのかな。」
そう言われてみればこの状況、どう見ても外に出られそうな気はしない。
祈るとすれば、川の水面がこの部屋の天井より低い位置にあって水の流入が止まる事くらいだけど、さっき
ニャルラトホテプが『始末する』って言ってた位だから・・・望み薄でしょうね。

天井・・・
天井というキーワードが出た事で、潤里ちゃんを抱き支えながら無意識に視線だけが上を向いた。
相変わらず不気味にねじくれた黒い装飾品が室内を照らしていて、室内は先程までの学校より暗い。
しかし私は目を凝らして部屋の左奥の天井にあるそれを、発見した。
光が当たってないから陰になって判らないけど、どうやら上に向かって通風孔があるように見える、気がする。

「どうかしら。 まだ、わからないかもしれないわ。」
えっと顔を上げた潤里ちゃんを離して話し合っている3人の横を抜け、2人で疑惑の箇所の真下に歩を進める。
膝下の位置まである水は重く、ざぶざぶと進むだけで一苦労。

確かに、その位置で上を見上げると、ここに降りて来た時を髣髴とさせるような縦穴があった。
手元の携帯電話でその穴を照らしてみても、光の先端が長すぎる穴の闇に吸い込まれて何も見えない。

「という訳だけど、鳳、納得して・・・ あれ?」
話し終えた清良さんが一瞬、きょろきょろして私達を探した。
「早くしないとあいつが校門で待つシャンタク鳥に辿り着いてしまうぞ。 急ぐんだ。」
「え、あ、軽手さん、ちゃんと助けに来て下さいよ。」
天井に気を取られているのか、それとも、この穴を見つけた事で少し気が楽になったのか、潤里ちゃんは
先程とは打って変わって驚くほどあっさりそう言った。

「うん。 待っててね。 じゃぁ、校長先生、お願いします。」
「よし。 いいか『門』が開いたらすかさず飛び込むのだぞ。 躊躇している暇は無いからな。」
校長はそう前置いてから、この世界のいかなる言語体系にも属さない、不思議な発音の単語を詠唱し始めた。


 

 

 

 

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