翌日
「ふう。冷蔵庫も空にしたし、ブレーカーも落とした。戸締りOK!」
試験を終えた私は、家の扉を前に最後の指差し確認を終えてカンカンと階段を下りる。
梅雨の晴れ間とはいえ、こうも暑いと長袖のジャケットは脱ぎたくなるところ。
昨日まで降り続いた雨が地面から蒸発する匂いが、午後だというのにまだ立ち昇っている。
ヘルメットを小脇に抱えた私は、アパートに向かってくる人影にギクリとしてしまう。
「あら、これからお帰り?」
ちょうど学校から帰ってきたのだろうか、いつも通学に使っているバッグを肩に掛けた律子さんが
微笑みながら歩み寄ってくる。
「はい。律子さんは夏休みの間もここに?」
昨夜の出来事が心の奥に小さな引っ掛かりを残していたけど、無理矢理ヘルメットの奥に隠して被る。
「お盆の時期くらいは帰ると思う。一緒に行きたいって人もいるしね。」
その微笑みはいつものそれとは違って、優しいだけじゃない感情が含まれているような気がする。
「そう・・・なんですか。」
少しあっけにとられた私の返答に気づいたのか、ふいと背けた横顔が初夏の日差しに輝いたように見えた。
「じゃ、気をつけてね。」
「はい。パーティ楽しんで来て下さい。」
階段を上っていく律子さんを見送り、ヘルメットのベルトを締めると久々の感覚に震えが来る。
帰る前に駅ビルでお土産でも買っていこう。
海佳はきっと喜んでくれるよね。
そんな事に心躍らせながら、階段下の眠れるエストレヤを引きずり出す。
アパートの2階を見上げると、律子さんがこちらに小さく手を振っているのが見えたので
大きく手を上げて挨拶をしてから、私はヘルメットのシールドを下げた。
久々の自宅は、当たり前だけど全く変わっていなくて、ガレージの車の横にバイクを入れた私は
海佳が出てきてくれることを願いつつチャイムを鳴らしてから玄関の鍵を開ける。
「ただいまー。」
家の中はしんと静まり返り、電気もついていなくて人の気配がなかった。
あれ、みんな出掛けてるタイミングだったかな。
小さく溜息をついてから、靴を・・・
「わっっ!!!」
後ろから大声が掛かり、驚いた私は屈みかけた姿勢のままつんのめってしまった。
「あははは。おかえり、お姉ちゃん。」
「ちょっと海佳~。もぉ~。」
振り返った私の前には、白のロゴTにグレーのイージーハーフパンツ姿の海佳が腰に手を当てて笑っていた。
「ごめんごめん。」
「今ので、お土産のケーキがぐちゃぐちゃかもよ?」
何とか放り投げはしなかったものの、もしかしたら大惨事かも知れない箱を海佳にちらつかせる。
「え!うそっ!うわーん、ごめんねケーキ~。」
私の手から救出したケーキを心配そうに掲げる海佳に、思わず噴き出してしまう。
釣られて笑う海佳の声が、ぐっと私の心に染み渡るようだった。
「お母さんは?出掛けてるの?」
自室で着替え終えた私は、リビングで海佳に問いかける。
「うん、町会の用事で8時ごろまで。夕飯作ってあるから食べてってさ。」
白い箱の中味の無事を確認した海佳が、大事そうに冷蔵庫にそれを仕舞って戻ってくる。
「そっか。」
夕食に適した時間までは、まだ4時間以上ある。
なら、シャワーでも浴びて一寝入りするかな。
「じゃあ、シャワー浴びてくるね。汗かいちゃったし。」
海佳にそう告げて、バスルームへ向かう。
「あ、お風呂沸かしてあるから、シャワーだけじゃなくて入れるよ。」
パタパタとスリッパの音を響かせながら海佳が駆け寄ってくる。
「おぉ。気が利くぅ。ありがと。」
「えへ。お嫁さんみたい?」
満面の笑みの海佳が発した一言に、カァッと顔が熱くなる。
「私のこと驚かさなかったらねー。」
「あぁ~!そーゆーコトゆーんだー!」
照れ隠しで笑いながら逃げて、小走りにバスルームへ向かう。
みたい、じゃなくて、ホントにお嫁さんだったら・・・ね。