Upside down その3


「・・・ぱい? 氷音先輩?」
その声にハッとなって顔を上げる。
「ぼけっとしとったら、階段から落ちるで?」
2段下に居るだけなのに、随分下の方から声が聞こえた気がして、慌てて視線を下に戻す。
眉を寄せて心配そうに見上げる高波さんは、それでも笑顔で言葉を続ける。

「ま、氷音先輩が落ちてきてもウチがしっかり受け止めたるから、安心して落ちや。」
嬉しそうに私を見上げながら差し出して来た両腕をさあさあと促すように揺らす。
「大丈夫よ。心配させてごめんなさい。」
再び下り始めた私を、不自然な角度に上体を捻って眺めながら高波さんはひょいひょいと駆け下りる。

折角心配してくれたのに、微笑む表情も作れないまま返事をしてしまう。
高波さんは本当に、こんなつまらない私を好いてくれているのだろうか。
階段を下りきってしまった高波さんのつむじを見つめながら、溜息が一つ・・・

放課後の喧騒もどこか少し遠い所から聞こえるような気がするのは、私の意識がインサイトしているから?
不安が渦巻き、胸の奥が苦しくなる。
「なー、氷音先輩、ちょぉ聞いてーやー。古文の竹村って、めっちゃキモんない?」
視線の先が、振り向いた高波さんの顔に変わってドキッとしてしまう。
寝ても覚めても、高波さんの事を考えてしまう。
そして、その度に自分と比較することがイヤになる・・・

「あいつの声聞いてると、お経が纏わりついてくるみたいで、さぶいぼ出て・・・って、氷音先輩、聞いてる?」
「う、うん・・・聞いてるよ。」
「氷音先輩・・・今日具合悪いんとちゃう? さっきも溜息ついてたし。」
また心配させてしまった・・・
「ううん。ありがとう、心配してくれて。」
今度は少し、微笑めたかな?

高波さんの話しを聞いているのは、割と好き。
他愛もない愚痴、友達の笑い話、テレビの名場面・・・。
次から次へと出て来る話題に彩を添えるのは、オーバーなリアクションとくるくる変わる表情。
そんな高波さんはいつも楽しそうで、相槌を打つだけでも大変。
でも本を読んでいるときより、楽しい気持ちが込み上げてくる。
高波さんのキラキラが、私にも少し入り込んでくるような感覚を味わえるのが心地良い。

「氷音先輩。また下り階段やけど、気ぃつけてやー。」
気付けば、もう地下鉄の入り口。
私の手を取って高波さんが先導してくれるのは嬉しいけど、一緒に下りる自校生や他校生の目が気になる。
「あ、そや。 氷音先輩、ごめんやけどちょっと先行くわ。券売機んトコで待っといて。」
ちらりと私を見てそう言い残すと、高波さんは上手に人を避けながらすごいスピードで下りて行ってしまった。
「あ・・・」
当然私の言葉と手が追いつけるはずもなく、せめて立ち止まって迷惑にならないよう周囲に合わせたスピードで
歩を進める。

何かを思いついたのか、それとも・・・私の迷惑そうな想いが伝わってしまったのか?
そんな複雑な想いが、階段と共に私の中に重く下っていく。
高波さんとお付き合いするようになって、私は自分のネガティブな部分をハッキリ感じるようになった。
だからこそ、以前より彼女を好きな気持ちを伝えたいのに・・・

改札のあるフロアに辿り着いた私は、言われた通り券売機の近くへ向かう。
この場所に立ち止まって周囲を見ると、人の流れに目が向く。
楽しそうに話す友達同士、ケータイを見ながら人にぶつかりそうな危うい歩きの人、違う学校の制服の男女連れ。
他人と比較すること自体が無意味だと分かっているけど、私はそっと、高波さんに繋がれていた手を見つめる。

「ひーのんせーんぱーい。お待たせー。」
クマのマスコットをぶらんぶらん揺らしながら小走りでやってきたその声に、ようやく私の顔が上がる。
嬉しそうに握り締めた何かを私の前に差し出す。
「これなー、新発売のあめちゃんやんかー。氷音先輩にも一個おすそ分けや。」
つやつやの長い爪で器用に包み紙を剥いて、私の掌に置かれた乳白色の飴。

「ありがとう。いただきます。」
透明なビニールをはがして口に入れると、デフォルメされた桃の味と香りが鼻へと抜けていく。
「んー!べろの奥がきゅーってなるー。」
顎の横を押さえながら、飴の酸味に眉を歪ませたその顔がおかしくて、つい笑ってしまう。
「うふふ。そうね。ちょっと酸っぱいかも。」
「せやんなー。でも氷音先輩が笑てくれたから、このあめちゃんは合格や。それに・・・」
ニヤニヤの笑みで私を見上げて、小さく一言。
「ウチの息、いま氷音先輩とおんなじ匂いやんな。」

ごそごそと鞄のサイドポケットに残った飴を押し込んで、代わりに取り出したのは沢山のジュエルシールで
縁取られたキラキラのパスケース。
「さ、氷音先輩。今日はどこ行こか?」
高波さんについていく足が2歩遅れたのは、きっと私の顔が真っ赤になってたからに違いない。

 

 

 

 

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