Upside down その13


「あぁ・・・とんでもない事になったわ・・・」
数十分前の出来事を思い返し、巨大な溜息を落とす。
「氷音先輩、そんなに気ぃ落としなや。滅多にできひん経験やで!」
理美ちゃんと私以外の配役は、それこそ大した物ではないのに、なんでよりによって私がそんな大役を・・・

解散後、物語を復習する為に当日の台本にもなる『シンデレラ』を二人で読み返すことにした。
シンデレラ、継母、姉1、姉2、魔女、そして王子。
登場人物はちょうど6人。
「なぁ、氷音先輩。 シンデレラなんて読むん、子供の頃以来やない?」
テーブルに腕を乗せ、その上に顎を乗せた体勢の理美ちゃんが、いつもと違いポツリと呟いた。
「そうね・・・」
ページをめくりながら、私はただ一言そう返した。

「ウチな、子供の頃、おかんが毎晩絵本読んでくれるんが好きやった。 でもな、ウチが小学生になったら
おかんも働くようになって、家ではほとんど親と顔合わされへんようになってしもてん。」
「理美ちゃん・・・」
今東京に住んでいるのは、ご両親のお仕事の都合だったことをふと思い出す。
「実はな、ウチの両親、今は海外で働いてて、東京のおじいはんおばあはんの家に住まわせてもろてん。」
初めて告げられた理美ちゃんの境遇に、私の胸の内がずきんと脈打った。
「だから・・・絵本見るとつい、な。 あ、別に寂しい事ないんやで。ウチの周りにはぎょうさん人いてるし。
もちろん、氷音先輩がいっちゃん好きやけどな。」

ふわりと微笑む向日葵に、複雑な想いのこもった熱が湧き上がる。
「理美ちゃん・・・私は・・・」
「あ。そや、氷音先輩。図書準備室に今回の衣装おいてあんのん、知ってた?」
急に話題を変えた理美ちゃんは勢いよく椅子を立つと、私の手を取って準備室へと先導する。
準備室の扉の脇に掛けてある鍵で中に入ると、本に囲まれた部屋の真ん中に室内用の衣装ハンガーが
おいてあり、演劇部から借りてきた各人の衣装がビニール袋に包まれて掛かっていた。

「この衣装、サイズ合うんかなぁ?」
理美ちゃんは心配そうにガサガサと衣装を物色する。
「あの、まだあんまりいじらない方が・・・」
「なんでやねん。氷音先輩の心配をしてんねんで? ズボンがつんつるてんやったらみっともないやんか。」
そう言いながら王子の服をハンガーから外すと、理美ちゃんは無遠慮に袋を破いて取り出し私に差し出す。
「え、わ、私・・・?」
「せや。氷音先輩、先に着てみた方がえぇて。サイズ合わんかったら困るやんか。ウチは一旦出るから、な?」
キラキラと目を輝かせながら、多分本来の目的とは違った意味で嬉しそうな理美ちゃんがさあさあと促す。
うぅ・・・そんなに期待した目で見ないで・・・

「り、理美ちゃんがそういうなら・・・」
わーーーー!!何言ってんのよ、私!!
どんだけ押しに弱いのよ!あぁ、情けない・・・

でも、理美ちゃんが喜んでくれるのなら、確かにちょっとくらいは・・・応えてあげたい。
「さっすが氷音先輩!ノリえぇなぁ! ほなら、ウチは出て待ってるから、着替え終わったら呼んでや。」
扉をぱたんと閉めて理美ちゃんが出て行くと、改めて腕の中の衣装を見つめてしまう。

襟に派手な金の装飾が施された純白の詰め襟ジャケットと、ウエストに金の布をあしらったパンツ。
シャツの襟にはフリルが満載で、まさに『記号』としての王子様には最適な印象。
こんな煌びやかな衣装、今迄生きてきて当然ながら着るどころか手に取ったことすらなかった。

しかしその服を見つめながら、私は長らく既製服について苦い思いをしてきたことを思い出す。
昔から他の子達より大きくて、中三から急激に伸びて今では170を超える長身と、それを支える大きな足で、
着たい服や靴を身に付けられなかったことも何度かあるから。
男性の服なんだから、むしろ男性用サイズで作っていてくれれば良かったのにと、心の中で見当違いに毒づく。
鏡が無いから、もし着られたとしても、見た目は理美ちゃんに判断してもらうしかなさそうだし・・・
合わなかったら代わりを見つけないといけないから、確かに今着ておくのは大事なことよね。
そう思って自らの行為を正当化することで私はようやく決意し、ブレザーの袖から腕を抜いた。

少し埃っぽい準備室で聞こえるのは、時計が時を刻む音と、私が立てる衣擦れの音、
そして何より、自分の鼓動の音が他の全ての音を遮るほどに大きく聞こえる・・・
体温で暖めた制服に別れを告げ、私は今、未知の殻へと袖を通す。

それから着る為にどれだけの時間、この衣装と格闘したかは・・・秘密です!

 

 

 

 

その12へ     その14へ