Upside down その25


「よっしゃ!ほな、始めよか!」
あれよあれよという間に、私は理美ちゃんのお家にお邪魔している。
学校の最寄り駅から電車を乗り継ぎ、スーパーで材料を揃え、そしてテーブルの上にはたこ焼き器。
文化祭の日は各自流れ解散だから早めに学校を出ても怒られることはないけど、皆よりも少し早く学校を出て
遊びに来るのって、なんかちょっと楽しい。

「えぇか、氷音先輩。たこ焼きは手際や。 特に最初はぼやっとしてられん、スピード勝負や!」
左手で小麦粉をふるいに掛けながら右手で玉子を割り、すっかり先生気取りの理美ちゃん。
「う、うん・・・」
手際とかスピードとか、私には苦手な分野の単語が出てきて少し不安になる。
「大丈夫や。ウチの教える通りにやったら、日本一のたこ焼き職人の第一歩間違いなしやって。」
私の気持ちに気付いたのか、下から微笑む理美ちゃんの大袈裟な表現がそれを和らげてくれた。

「材料はよし、と。 下拵えは難しい事ないやろ? さあ、氷音先輩。まずウチが焼くとこ見ててや。」
刻んだ材料を取り易いように配置し、熱したたこ焼き器を前に理美ちゃんが鋭い表情になる。
理美ちゃんのこんなに真剣な横顔・・・久しぶりかも。
たこ焼き器のくぼみ一つ一つに油を引き、生地を素早く穴の七分目ほど満たしていく。
あ・・・屋台で見たことあるたこ焼き屋さんみたいに、一気に流し込まないのね。

「返すのが難しなるから、生地は入れすぎたらあかんよ。」
そう言いながら茹でた蛸を正確に一つずつ投下し、揚げ玉、紅生姜、万能ネギを満遍なく散らす。
「生地の縁が固まってきたら、ここや、一気に全部返したらあかんよ。穴からはみ出した生地を押し込みながら
ぴゅっ、くるって大雑把に返すんや。」
竹串を器用に操りながら、理美ちゃんは猛スピードで生地を纏めながら半球のたこ焼きを返していく。
大雑把にというのは、完全に返ってないからまだ液体の生地が穴の中にこぼれて焼けていく事を指すのかしら。
コレなら中が生焼けのままになることはなさそうね。

それからすぐに、生地が完全にひっくり返った状態になるように生地を丸めながら返す。
「あとは均等に焼き色が付くまで焼いて行くんや。穴あいてたらちょっとだけ生地掛けて修復してな。」
一つだけあった穴の開いていたものに、それが埋まる程度の生地を掛けてすぐにくるりとその球を返す。
「へぇ・・・理美ちゃん、すごい。」
かっこいい。ただ単純に、そう思った。
「当たり前や。哺乳瓶より先に串持ってたっちゅうねん。」
「ふふ。」
満面の笑みを浮かべる理美ちゃんと、私は同じ表情になってしまう。

「よっしゃ。できたで、氷音先輩。カロリー気にせんならマヨネーズありやけど、掛ける?」
「うーん・・・じゃ、なしでいいわ。」
さすがというかなんと言うか、乙女らしい心遣いが嬉しい。
焼きあがったたこ焼きを竹串で器用に皿に並べて刷毛でソースを塗り、青海苔と鰹節をちらせば完成。
「はい、どーぞ。 熱いうちにおあがりや。」
テーブルの椅子を引いて私を手招きする理美ちゃんに急かされ、エプロンも外さないまま腰掛ける。
「うん。い、頂きます。」

湯気とソースの香りに包まれたたこ焼きを、2本刺さった爪楊枝で摘み上げて口元でふうふうする。
鰹節と青海苔が息でほんの少し吹き飛ばされて、蛍光灯の明かりに煌めくよう。
熱さを警戒しつつ、壊れ物を扱うようにそっと口の中に収め、前歯のファーストコンタクト。
「あっ・・・!」
熱い・・・!
思わず口を押さえて口内の空気を入れ替えるけど、そこには生地と具とソースの香りが一体となって広がって、
外側の香ばしい生地を噛み割れば、中からとろりと熱い生地が歯ごたえの良い蛸と対照的な個性を発揮する。

「どぉ? おいしい?」
覗き込んで尋ねる理美ちゃんに、何度も大きく頷く私の目の端に浮かぶ涙は熱さのせい?
「あは。氷音先輩に気に入ってもらえたら嬉しいわぁ。」
座った私の肩に理美ちゃんが抱き付いてきて、思わずたこ焼きを落としそうになったけど、感謝の気持ちを込めて
その手に空いていた左手をそっと重ねる。

「ありがとう。理美ちゃん。こんなに美味しいたこ焼き初めて。」
首だけで振り返っても理美ちゃんの表情は見えないけど、このたこ焼きが美味しいのは、ただ本当に美味しい
だけじゃなくて、きっと理美ちゃんが私のために作ってくれたからなんじゃないかと思う。

だから、ありがとう・・・

「そーかー?・・・えへへ、そんな、照れるやん。 お、そや、そんなに気に入ってくれたんやったら・・・」
理美ちゃんの髪が耳元をくすぐって、息が掛かったのにハッとなる。
「ウチが氷音先輩のお嫁さんになったら、毎日でも作ったるよ。」

その言葉が頭の中で何度も焼きあがって、私の顔から湯気になって噴き出た。
「り、理美ちゃん・・・」
鉄板の温度が上がるように、目の周りや頬の温度が上がってくるのがわかる・・・
そのまま、唇を近づけてくる理美ちゃんに、私も目を閉じて顔を・・・

「あら、理美ちゃん。久しぶりにたこ焼きやってるのね?」
突如キッチンに老齢の女性が現れたのに驚いて、私はガタンと立ち上がる。
それに跳ね飛ばされた理美ちゃんがうひゃぁと声を上げてよろけた。
「あ、お、お邪魔してます。」
大きく頭を下げる私に、いらっしゃいと告げるその声はとても優しい。
「おばあはん、文化祭の練習中やってゆーたやん。おどかさんといてー。」
「うっふふ。ごめんなさいね。あんまり良い匂いだったから・・・あなたが青山さんね?」
「あ、はい、青山氷音です。理美ちゃんにはいつもお世話になってます。」
向けられた視線に先程の気まずさが過ぎり、下げる頭の角度が先程よりも深くなる。

「いいえ。理美の方こそ、ご迷惑お掛けしてるでしょう? 大阪から来たばかりだから、あなたのような
しっかりした先輩が居てくれると助かるわ。よろしくお願いしますね。」
「いえ、とんでもないです・・・」
「じゃぁ、理美ちゃん。お買い物行って来るわね。あとでおばあちゃんにもたこ焼き頂戴ね。」
そして、どうぞごゆっくりと告げると、理美ちゃんのおばあ様は小さく微笑んで元来た方へと戻っていった。
一瞬緊張したけど、穏やかで話しやすそうな感じで安心した。

「もー、タイミング悪いなぁ。 ごめんなぁ、氷音先輩。ビックリしたやんなぁ。」
「んーん。いいの。 えと・・・おばあ様はずっとこちらにお住まいなの?」
なんとなく話題を変えたくて、私は顔を逸らしながら尋ねる。
「そーや。こっちは母方の実家で、父方が大阪やねんか。せやから、ウチもずっと大阪に住んでてん。」
そうだったの・・・知らなかった。

 

 

 

 

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