Vier mädchen その9


「湯島さん、さようなら。」
「和桜ちゃんばいばい。良い夏休みをー。」
「えぇ、楽しい夏休みを。」
みんなの挨拶を笑顔で見送り、空調の効いた1学期最後の教室にはわたくし一人。

エアコンの温度は変わらないはずなのに、がらんと広い教室は心持ち寒く感じます。
わたくしはこの後行われる生徒会役員臨時会議の集合時間まで、中途半端な時間が残ってる事を左腕の時計で
確認して、小さく溜息をつきました。
「あ、そうだ、今のうちに。」

会議の後はお茶会があるのを想定し、わたくしはお手洗いに行く為に席を立ちました。
廊下は顔を顰めるほどに暑く、太陽が最も高い時間帯の熱風が吹き抜けて行きます。
擦れ違う生徒の中にはわたくしの事を知っている人も多く、何度も挨拶を交わしながらようやく辿り着いた
個室の扉を閉めて寄りかかると、また一つ溜息が出てしまいました。

生徒会長に任命されて職務を行う事、早4か月。
1学年の成績主席の人が家庭の事情で生徒会活動が出来ないということでわたくしに回ってきたお鉢を何度も
先生方に適任ではないとお断りしたのに、周囲の皆までが適任と言うので結局祭り上げられて今に至りますが。

「・・・でしょー? 私もそう思うー。」
「そーそー。」
話しながら入ってきた二人連れの声が洗面台の所で止まりました。
普段なら何も気にせず用事を済ますだけなのですが、その二人の会話に、わたくしの手がピタリと止まります。

「今年の生徒会長さ、ホント、湯島さんで良かったよね。」
「去年の生徒会長、何もしてなかったっぽいもんねー。」
「そーそー、湯島さんは率先していろいろやってるのが目に見えてるから、ちゃんとやってるってわかるしね。」
パチンとかカタンとか身嗜みを整える音を響かせながら、どうやらわたくしの話をしているその二人の話に、
つい聞き耳を立ててしまいます。

「そーそー。偉いよねー。 それにさ、生徒会長って事はトップクラスの成績でしょ?」
「頭良いうえに美人だしさ、なーんかめげるよねー。」
そんなんじゃないわ、わたくしは。
胸元で握りしめた拳に、思わず力が入ってしまいます。
「それだけじゃないって。すっごい良い人なんだよ、会長って。」
「なに? なんかあったの?」
「通勤電車に乗ってたお爺さん降ろしてあげる為に『降りる人がいまーす。道開けてあげて下さーい!』って
言ってたの、あたし見ちゃってさー。」
そのエピソードには、心当たりがありました。
あれは5月の終わり頃、確かにそんなような事をしましたが、まさか自校生に見られていたとは。

「マジで!? くはっ、そんなの天使か女神か、じゃね?」
ちょっと、わたくしはれっきとした人間です。
「でしょー? もー、ありえないわー。完璧超人すぎっしょ?」
超人でもありません。 ただの、普通の・・・人間です。

話だけがどんどん飛躍して独り歩きする。
噂とはかくも恐ろしいものだとわたくしは実感しました。
そして、二人が立ち去ってもなお、わたくしは拳に込めた力を開放することが出来ませんでした。

わたくしは、あの二人が言うような立派な人間ではありません。
誰かの視線を気にして、困っている人を放置するのが怖いだけの、卑小な人間なのです。
成績が下がるのが恐ろしいという理由で勉強し、常に優等生の仮面を被っているだけの、臆病な人間なのです。
わたくしに、期待しないで。 またそれに恥じない行動を取らなければならなくなってしまうから。

「うっ・・・うぅっ・・・」
聞きたくも無かった話を聞いてしまった事を、わたくしは激しく後悔しました。
胸の奥に湧き上がる青黒い感情が抑えられなくなって、目からぽたぽたと溢れてきます。
深海の泥のように重く冷たい涙が握った拳に落ちて、びしゃりと大きな音を立てた気がしました。

ホントウノ、アタシハ・・・・・・

身体が勝手にずるずるとその場に崩れ落ち、肩を震わせながらしばらくその場に蹲りました。
それでも、床に肌やスカートの裾が着かないように気にしてしまう、器の小さなわたくし。
わたくしは・・・・・・

アタシハ、カラッポナンダヨ?


 

 

 

 

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