Vier mädchen その15


学校を出て、和桜を隣に従えて最寄りの地下鉄駅とは反対方向へ歩道を歩く。
日が伸び始めた夕方の道路は車通りだけが多く、擦れ違う人もまばら。
和桜は何も喋らず、私の横で穏やかな表情を湛えながらただついてくるだけ。
それが気になって顔を向けると、バチッと目が合って少し驚いてしまう。

長い黒髪が風に靡いて露わになった首筋の白さに、逸らした視線が吸い寄せられるように辿り着く。
結局正面に向き直って歩き続ける私を、和桜は何を思って見つめるのか。
別に・・・私は、なんとも思ってないわよ。

そのまま無言で歩き続けて大通りに出ると、いつもの場所に止まっている、いつもの迎えのVWポロ。
その青い車の横に立っている人物が、こちらに気付いて深々と頭を下げる。

「お疲れ様でございました。紫鈴様。」
帰りの迎えは、うちの運転手ではなく、買い物ついでの文兎にさせている。
今日のこの後のスケジュールや、私がいない間に家で起こった事を確認するためだ。

ベージュのスーツに身を包んだ文兎は、礼をしたことで僅かにずれた紫縁の眼鏡をさりげなく指で直す。
私が無言で差し出した鞄を恭しく受け取った文兎は、和桜にも深々と頭を下げて営業スマイルを浮かべた。
「湯島様。 ご無沙汰しております。お変わりなく。」
「文兎さん。 お久しぶりです。」
今日の青空のように澄み切った笑顔の和桜も、文兎に劣らぬ丁寧な態度で礼を返す。

それからほんの少しの間、二人は暇そうな私を尻目に天気やヘッドラインニュースなんかの世間話をしていたが
文兎が話を切り上げたのは、私が車のドアの前で欠伸をしたのが視界に入ったからだろう。
「おっと、少々話し込んでしまいまして失礼致しました。」
文兎の礼は、ピアノの中高音をグリッサンドするようなきびきびとしたもの。
「いえ、こちらこそ。 では、わたくしもそろそろ。」
一方、和桜の礼はハープを爪弾くような、どこか風雅な印象。
「岩淵さん。 また明日。」
私が車に乗り込むのを胸元で手を振って見届けた和桜は、地下鉄の駅へ向かう為に来た道を引き返していった。

「ねぇ、文兎。」
和桜の背中に一礼して運転席に乗り込んだ文兎がシートベルトを締めると同時に、私は問いかけた。
「はい、紫鈴様。」
『文兎(あやと)』は、彼女を私専属にしたときに付けたあだ名。
彼女が私の専属家政婦になったのは、私が小学4年生の時。
本名は澄田 文子なんて地味な名前なものだから、当時掛けていた赤縁の眼鏡が白い肌に映えて兎を連想した
ことから私が付けたもの。
高校卒業後、我が家で既に1年働いていた彼女を専属にしたいと申し出たのは、他ならぬ私自身。
何故なら、最も私寄りで、我が家の思想に毒されていないのは彼女だけだったから。

「和桜に会ったのは2度目よね。 あの子の事、どう見える?」
言ってから、なんとも的を射ない質問をしてしまったと唇が歪む。
「湯島様の事・・・でございますか? そうですね、知的な方とお見受けします。そして纏うオーラのカリスマ性。
もしや、どちらか良家のご出自でいらっしゃるのでしょうか?」
「さぁ。 知らないわね。」
文兎は助手席の買い物袋と私の鞄をシートベルトで留め、ゆっくりと車を発進させる。

「紫鈴様。 何をお望みでいらっしゃいます?」
バックミラー越しに、眼鏡の向こうからの視線が私を覗う。
「別に、何も望んでなんかいないわ。」
そう答えながら、小さく鼻をフンと鳴らして脚を組み替える。

「ただ、文兎にそこまで言わせるなんて大したものだと思ってね。」
家の内外で様々な人たちと接している文兎だから、その見識は確かなもののはず。
そのせいで私の心の奥まで見透かそうとしてくるのは腹立たしい事だけれど。

「買い被り過ぎでございます。 わたくしは見たまま感じたままを申し上げただけに過ぎません。」
平たい仕事口調で答えられ、組んで宙に浮いた私の左足の爪先が2度揺れた。
和桜の事を平たく扱われたと感じたから気分が乱れたのだろうか。

・・・・・・。

いけない。
感情が無意識に表に出てしまうのは私の悪い癖だ。
自戒し、小さく溜息をついて気分をリセットする。

「そう・・・ ありがとう。」
文兎の後頭部にまとめられたお団子髪を視界に捉えながら、私も平たく感謝を述べる。
でも、どうして和桜の事を軽く見られてわたしが気分を悪くするのか、自分でもよく分からない。
だから余計にイライラするのよ。

「 Leuchtet der Mond heute abend ? 」
その苛立ちをぶつけるように私が口にしたドイツ語のフレーズが文兎の耳に届いたことで、ガクンと車に
エンジンブレーキがかかった。

それは、二人だけの合言葉。

そして、ぽつりと文兎の口から零れたのも、また同じ響きを持つ国の言葉。
「 Es ist ein Befehl . 」


 

 

 

 

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