Vier mädchen その25


わたくしの切り出し方に何かを感じたのか、文兎さんは紫縁の眼鏡に一度手を添えてこちらに向き直ります。
「なんなりと、湯島様。 わたくしにお答え出来る事でございましたらば。」
微笑みを浮かべながら、文兎さんは傍にあるスツールをわたくしに勧めてくれました。
しかし、座って落ち着く気がしなかったため、小さく頭を下げてそれを辞退し言葉を続けます。

「文兎さんは、岩淵さんの事をよく知っているんですね。」
少し遠まわしに、質問を始めます。
「えぇ、それが仕事でございますので。」
「もう、長いんですか?」
「紫鈴様の身辺のお世話を仰せつかって6年になります。」
6年・・・文兎さんは岩淵さんを小学生の頃から見ているのかと思うと、ちりちりと胸の奥が音を立てるような
気がしてなりませんでした。

「道理で。 岩淵さんが文兎さんを信頼しているはずですね。」
両手で支えたグラスの水をもう一口含み、ゆっくりと喉に送り込む。
「・・・?」
「先のわたくしの誕生日の一件もそうですが、岩淵さんの口からはよく文兎さんのお名前が出てきます。
文兎さんのお料理とかお菓子はいつも美味しいから感謝してるんですけど、その度に岩淵さんがとても
嬉しそうな表情をするものですから、そう感じたんです。」

「紫鈴様が・・・? ふふ、皆様のご感想は伺っておりましたが、左様でございましたか。」
ふと口元を緩めた文兎さんの表情に、やはりわたくしは只ならぬものを予感してしまいます。
「はい。 いつも美味しい物をありがとうございます。」
やっぱり、本人に直接お礼を言えるというのは嬉しいものです。
「お口に合いましたら、何よりでございます。」
文兎さんにとってもそれは同じようで、純粋な微笑みが返ってきます。

「文兎さんは、岩淵さんのお家に仕えていらっしゃるんですか?」
「いいえ。 わたくしは普通の家政婦でして、紹介所を通じて派遣されておりますが、実質的には岩淵様から
毎日指名を頂いておりますので、他所宅様でお仕事をする事は無いに等しゅうございます。」
あまり詳しくは業務上の秘密保持の為お教えできませんが、と文兎さんが付け加えます。
「そうだったんですか。 でも、長らく同じ場所で働いていると愛着も出てくるのでは?」
少しずつ、わたくしは核心に近づくつもりで話を詰めて行きます。
真意に気付かれないよう、慎重に。

「はい。 岩淵様には大変ご愛顧頂いておりますので、やりがいもあるというものでございます。」
「でしょうね。岩淵さんの成長を見守って来たんですもの。文兎さんはすごいです。」
核心に近づく緊張をほぐすため、また一口水を喉奥へ押し込みます。
「いいえ、わたくしは何も・・・」
「人付き合いのお仕事ですもの、岩淵さんの事が好きでなかったら続かないでしょう?」

なるべく、軽く、さらっと、言ってみた。
私が意図するニュアンスを、まだ、感じさせないように。
それでも、文兎さんの目が一瞬、泳いだような気がしました。

「そうかもしれません。 紫鈴様は類稀なる聡明なお方。まだお若いとはいえ敬愛に値するお方だとわたくしは
感じております。」
ちょうど、スープのお鍋が騒がしくなってきたのに気付いた文兎さんは、慌ててコンロに駆け寄ります。
話に夢中になってしまい、危うく明日のスープが台無しになってしまうところだったようです。

「文兎さんにとって、岩淵さんは大事な人・・・なんですか?」
後姿になってしまった文兎さんの背中に投げ掛けたその言葉を、文兎さんは目を閉じて唇だけで微笑みながら
返答を探しているようでした。
わたくしの言葉をどう捉えるのか、思わずこの手の中のグラスに力が籠ってしまいます。

「専属でお世話を任されておりますので、大事と言えば大事でございますが、恐らく湯島様が仰ろうとしている
それとは・・・異なるものだと存じます。」
文兎さんの答えに、わたくしはハッとなりました。
『大事』という言葉の意味を、文兎さんはやはり恋愛的なものであると解釈してくれるという事は、少なからず
そう言った意識が無ければ発想しないはず。
ましてや、同性同士であるにもかかわらず、です。
そして同時に、わたくしが岩淵さんに対してそう言った感情を持っている事を、彼女は肯定しました。
ぐるぐると、わたくしのなかで何かが絡まって行きます。
自分の質問で、自分の首を絞めるような謎を、自ら作ってしまったような、蜘蛛の糸に。

「献身、庇護、それらを恋愛と取り違えるほど、わたくしは未熟ではないつもりでございます。」
文兎さんがお鍋の火を消したのは、この話が終わりだと告げられた様な気がして、わたくしはグラスの底に
残った最後の一口の水を、無理矢理胃に流し込みました。

「そう・・・ですよね。 ごめんなさい。変な事聞いてしまいまして。 ・・・お水、ご馳走様でした。」
空になったグラスを返そうとしたその時、文兎さんの目が一瞬、わたくしの後ろの中庭の方へ走ったのを、
わたくしは見逃しませんでした。
「どうしたんですか?」
「あ、いえ、紫鈴様が中庭に出て来られたので、如何なされたのかと思いまして。」
振り返ったわたくしには、既に衝立の隙間を横切り終えたその姿は確認できませんでした。

・・・・・・ん?
ということは、わたくしはどうやって部屋に戻ればいいのでしょう!?


 

 

 

 

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