Vier mädchen その26


文兎さんはキッチンの窓を少し開けて中庭に出ると、衝立の陰から顔半分だけを出してそっと様子を覗います。
ほんの十数秒、彼女がそのままの姿勢でいる間、何故か私は息を止めてしまっていました。

「こんな時間だというのに・・・泳いでいらっしゃいますね。」
出て行った時と同じように静かに戻ってきた文兎さんが、少し困惑した表情でわたくしに報告します。
これでは暫く中庭を通る事は出来ないでしょうし、今リビングから出てきたという事は、帰りにもリビングを
通る可能性が高いでしょう。
それに、運動した後に水分を求めてキッチンに来ることも充分考え得ます。

どうしてこんなに後ろめたい気分になるのか自分でもよく分かりません。
それだけ・・・わたくしが岩淵さんを意識しているという事なのかと思うと、それはさらに強く、わたくしの胸を
締め付けてくるような気がします。

「湯島様。」
思考の渦に飲み込まれているわたくしに声が掛かり、ハッと声の主を振り返ります。
「あ、はい。」
「わたくしは紫鈴様にバスタオルをお持ちしなければなりませんので、これにて失礼致します。」
あくまでも柔らかい微笑みを残して一礼した文兎さんは、同じ部屋の反対側にあるランドリーから真っ白な
バスタオルを1枚取り出し胸元に抱えると、リビングに繋がる方の角部屋への扉に姿を消しました。

・・・・・・!!
そうだ、そっち側の部屋なら・・・

わたくしは、キッチンからリビングの窓が開いて文兎さんが出てくるのを、息を潜めて待ちました。
僅か数秒の距離のはずなのに、文兎さんはなかなか中庭に姿を現しません。
ドキドキと鼓動が高まっているのが、直接自分の耳に聞こえているような気分です。

「湯島様。」
「ひゃいっ!!」
突然後ろから声が掛かって、心臓が圧縮されたかと思うほど身体が跳ね上がりました。
「お戻りになられないのですか?」
わたくしの驚き方に驚いたのか、文兎さんは一歩後ずさってわたくしを問い質します。
「い、いえ、もう少し休んでから部屋に戻りますので。」
「畏まりました。 深夜のつまみ食いは、美容の大敵と存じますよ。」

・・・他人様の別荘のキッチンでそんな事しませんよ。
そう言い残して、文兎さんは再び来た方の扉を潜り抜け、今度はすぐに中庭へと姿を現しました。
わたくしはチャンスとばかりに、隣の角部屋へ飛び込みます。

この部屋の大きな特徴は、月明かりに照らされた穏やかな入り江が窓から見てとれることです。
机、テーブル、ソファ、キングサイズのベッド、テレビといった他の部屋同様の家具が置いてあり、もちろん
トイレとお風呂に繋がる扉が付いています。
わたくしはベッドの陰に身を隠し、文兎さんが用事を済ませて通り過ぎるのを待ちます。

入り江に面しているとはいえ、海面の動きが緩やか過ぎる為か波音は聞こえません。
針のついた時計も無いため、部屋はしんと静まり返っていて、わたくしの呼吸が一番大きな音のようです。
ほどなくして、リビング側の扉から文兎さんがキッチンへと抜けて行きました。
わたくしに気付いた様子はなく、ドアからドアへ最短距離の移動といった感じでした。

・・・・・・。
・・・ふう。

文兎さんが戻ってこない事を確認し、あたしはベッドの陰から立ち上がってリビングの扉をほんの少し開ける。
幸い、すぅちゃんはまだリビングに来ていないようなので、そのまま首を左に巡らせて中庭を見遣る。

だけど、あたしはその瞬間、息を飲むことになった。

月のスポットライトが照らし出す中庭の人影は間違いなくすぅちゃんだけど、丁度プールから上がってきた
その身体は何一つ纏わぬ生まれたままの姿で、滴る水では当然どこも隠せていなかったから。
「あ・・・」
ドクンと、今日一番強く心臓が鼓動を打って、その瞬間、呼吸が、止まった。

あたしが漏らした声と気持ちが届いてしまったのか、すぅちゃんがリビングのこちらを覗っている様な気がして、
バタンと音がするほどの勢いで扉を閉めた。
少しずつ収まろうとする鼓動をより速く抑えようと胸に手を当てて扉に寄りかかっても、見てしまった光景が
頭の中を駆け巡る。
あんなに離れていたのに、銀色の月光を反射するその肢体が、脳裏に何度も蘇る。

・・・もう、だめだ。
あたし、ホントにすぅちゃんの事が気になって仕方ないんだ。
扉に寄りかかった姿勢のまま、ずるずると体が崩れ落ちていく。
悩んでいた自分の気持ちを確信してしまった以上、あたしにできることは・・・ひとつだけ。

すぅちゃんが部屋に戻って寝る前に、訪ねなければいけない。
あたしはそう、決意した。


 

 

 

 

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