「大丈夫。任せて!ねっ!」
暴れだす前に、後ろを取ったボクは千河の髪に櫛を通す。
背中まで流れる長い黒髪は、一度も引っかかることなく櫛が通る。
意外にも、その一櫛で千河は大人しく座ったまま動かなくなってくれた。
ボクは頭頂の左右の髪から二つの束を分け出し、高い位置でツーサイドアップにすることにした。
これなら長い髪も活かせるし・・・なによりボクとお揃いに近い。
小さく微笑んでから、服に合わせたショッキングピンクのヘアゴムで髪束を留める。
それから鏡台の引き出しを開けてメイクボックスを取り出し、千河の顔に手を伸ばす。
「じゃ、今度はメイクするから。メガネ・・・」
「イ・・・イヤッ!」
千河は弾かれるように顔を避けると、怯えたように両手でメガネの弦を押さえた。
「大丈夫だよ。変にはしないから・・・」
少し驚いたボクは、微笑みながら千河の肩に手を掛けてなだめる。
「ち、違うの・・・あたし・・・」
少し俯いた千河は、どこでもない場所に視線を彷徨わせている。
「眼鏡がないと、怖いの。 そーゆー壁が無いと、まゆの事も、世の中も、見るのが怖いの・・・」
千河・・・
ボクは何を躊躇う事もなく、千河を抱きしめた。
「千河・・・ボクは怖い? 信じられないかな?」
髪を結ったことで露になった耳元で囁くと、ボクの腕の中で千河が大きく呼吸したのがわかった。
シャンプーの香りと毛先が、ボクの鼻をくすぐる。
「違うの・・・そーゆーわけじゃ、ないけど、ただ、いつもそうだったから・・・つい・・・」
消え入りそうな声で答える千河の頭が、ボクの首と肩に預けられる。
「じゃぁ、ボクの事、信じてくれる?」
その重さが名残惜しいけど、メイクをする為に身体を離して鏡越しに千河を見つめる。
「・・・。 そーね。今回は騙されてあげる。」
晴れやかに微笑んだ千河は自ら眼鏡を外し、そっと鏡台に並んだ物の隙間に置いた。
「あ、あはは・・・うん。ありがと。千河。」
さて、折角の黒×ピンクなんだから、千河にはその目力を活かした小悪魔風メイクなんてどうかな?
ブラウングレーのアイシャドウとアイライナーで、目元に更なる力を与える。
肌を良く見せるファンデーションやチークは、ボクには必要ないからあんまり良くわからないけど、
千河のしっとり健康肌にも必要ないと思う。
あとはうるつやピンクのリップグロスで、少し薄めの唇をパワーアップ!
一歩下がって全体的なバランスを見ても良い感じ。
ショッキングピンクに負けないインパクトを目元と唇に与えた小悪魔千河の完成☆
「はい、おー待たせー。」
思ったよりも上手に出来て上機嫌なボクがどこか間延びした声で目覚めの時を告げる。
鏡越しに、ゆっくりと目を開ける千河をボクは後ろから満面の笑みで迎える。
「うわ・・・」
口元から溢したその言葉と同じ形に口を開け、そのまま固まる千河。
あ、あれ?ナニソノ反応・・・?
「えと・・・どうかな? ダメ?」
たまりかねて声を掛けたボクに、千河の目以外が微動だにしない。
「あたしって、こんな顔になるんだ・・・」
「あの、さ。 立って服とのバランスで見てよ。きっと合ってるから。」
瞬きもせず、じっと自分の顔を見つめる千河にボクは慌てて言った。
ちらりとボクを鏡越しに一瞥し、すっと立ち上がった千河が少し身体の角度を変えながら自らを確認する。
その動きよりも少し遅れて、遠慮がちに2本の尻尾が頭に揺れる。
「うん。 ・・・まゆのゆー通りかも。 ちょっとケバいかと思ったけど、服の色とも合ってる。」
ぽつぽつと、千河が鏡に向かって感想を述べる。
あれ?そういえば・・・
「千河、メガネしてなくて見えるの?」
「え、あたし目いいのよ? これダテメガネだから。」
鏡台に置かれたメガネを手に取り、不思議そうな顔の千河がくるりと向きを変えてボクに微笑んだ。
「え、そーなの!? 知らなかった・・・」
今度こそ驚きを隠せないボクに、小さく千河の口元が綻ぶ。
うーん。後でメガネ掛けると思ったからマスカラ使わなかったのに・・・
でも、またひとつボクの知らなかった千河を知ることが出来た。
それがボクには嬉しい。
「まゆ・・・ありがと。」
ポツリと不意に聞こえた声。